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プロフィール

なかむら@みゆきの

Author:なかむら@みゆきの
高社山麓みゆきの杜ユースホステル
を営んでいます。
当サイトでは、地元民ならではのお勧めツーリングルート、温泉、B級グルメなどを宿主自らが実走調査を敢行!信州ドライブ&ツーリングにお役立てください。


【旅の記録】
北海道ツーリング2008
北海道ツーリング2009
北海道ツーリング2010
北海道ツーリング2011
北海道ツーリング2012
沖縄八重山紀行2008
沖縄八重山紀行2009
沖縄バイクツーリング2010
沖縄家族旅行2011
栂海新道縦走記2012
沖縄買出し旅2012
沖縄買出し旅2013夏
大阪帰省の鉄道旅2013
沖縄買出し旅2013冬
アメリカ横断2014春
北海道ツーリング2014
沖縄買出し旅2014
アメリカ横断2015
北海道乗り潰し2015冬
家族で沖縄2015冬
タスマニア周遊2016
Overland Track2016
北海道2016夏ドライブ
スペイン巡礼2016冬
タスマニア2017春
北海道2017夏
スペイン巡礼2017冬
瀬戸内旅2018春
日本南北縦断2018冬
瀬戸内旅2019春

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2015年6月10日午後4時10分
その日は朝9時ごろから、梅雨の中休みの晴れ間を狙って、バイクで出かけることにした。
日曜日に予定していた田んぼをめぐるツアーの下見、そして信越トレイルのアクセス道路の状況確認をかねて、ほぼいちにちかけて、ようやく自宅に辿りつこうとするその瞬間に事件は起こった。

通称上木島ダムのブラインドコーナーを左へ曲がって左加速するぞと、アクセルをふかそうとした瞬間、1台の黒いワンボックスカーが、突然目の前に現れた。

とっさに衝突を回避しようとフルブレーキをかけた瞬間バイクは左へ大きく傾き私は地面に強く叩きつけられた。

瞬間、ヘルメットに守られた頭が強く地面に衝突してこすれるのはっきりと覚えていた。

瞬間にして天地逆さまになって引きずられる自分を認識をしてはいたが、なぜ転倒してしまったのか、そのほんの数秒間の経過についてはあまり思い出せない。

気づくと左肩に激しい痛みを覚え、ただうなっている自分。対向車を運転していた運転手の人がとっさに駆け寄り、ただひたすら「大丈夫ですか」「大丈夫ですか」と叫んでいる。

行きずりの車が何台か止まってこちらを見ているのを覚えている。

自分の怪我の程度はどの程度かわからずとりあえず警察を呼ぶことだけを考えていた。
しかしまずは自分の家族にこのことを伝えなくてはならない。しかし母ちゃんに電話をするも電話に出ない。

とっさに竹内家のハッチに電話をかけ至急現場に来てくれるよう頼む。

ポケットに入れていたスマホは無事だったのだ。

やがと警察がやってきて検分が行われる。
しかしこの時点で体を動かす事はほとんどできず、思った以上に重傷であることに気づき始め、事故から約50分経過した後に、自らの足で立ち上がって車に乗ることができないと判断し救急車を呼ぶことにした。
119にはかあちゃんが電話。

ほどなくして救急隊が到着。しかし自分の足でストレッチャーに乗ることも動くこともできない。

救急隊が慣れた手つきで担架に乗せて、私は生まれて初めて救急車の車内に収まることになった。

現場到着時間や車内搬入時間、出発時間、病院への到着予定時間細かなやりとりが無線で行われていた。

当の本人はというと、と次第に肩の痛み息苦しさが募り、えもいわれぬ苦しさに襲われていた。

カーテンがひかれた車内からは外の様子を伺い知ることができない。
しかし通い慣れた道ゆえ、ブレーキのタイミングやカーブのタイミングによってどこ走っているかは手に取るようにわかった。

しかしほんの少しの衝撃で肩と胸に激痛が走り、それはまちがいなく人生の中で味わったことがない苦痛だった。



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6月10日 入院1日目
息苦しい呼吸も幾分マシにはなった。

しかし左肩を見ると明らかに奇妙な出っ張り見られるし、幾分肩が内側に押し込まれているようにも見える。

事故当時は、脱臼、脱臼連呼していたが、そんなことは自分にわかるわけもない。骨折などという事態を信じたくない自分への暗示だったのかもしれない。

胸部のレントゲン、足のレントゲン、さらにCT scan。

そして出てきた結果は

左鎖骨骨折
肋骨4箇所骨折
足甲骨3箇所骨折

全部で8カ所の骨折であった。

悲壮感が漂う。

主治医は堀先生と言う割と若い先生だ。

しばらく入院だね

普通の生活ができるようになるのにどれくらいかかりますか?

8月以降だね

何とも切ない診断が下されてしまった。


6月11日 入院2日目
座薬のおかげで、幾分楽にはなっていた。
活かしながら起き上がるとき激痛が走るのには変わりは無い。
この日の朝からはお茶を飲むことが許される。
10時ごろ母ちゃんがやってきた。

下の売店で温かいコーヒーを買ってきてくれた。

今後の宿の営業計画について真剣な打ち合わせを行う。

母ちゃんの顔色を伺いながら、アスパラバイキング、フルコース、北海道フェアについては予定通り実施することを確認した。

甚大な負担をかけてしまうが、そこは何とかがんばってもらうしかない。
なんせうちは自営業である。

それを前後して保険会社との打ち合わせ。
今回の事故の1番厄介なのは対向車と接触していないことである。

衝突していない限り、場合によっては単なる自損事故として扱われることもある。

それゆえに相手方の自賠責保険が使えるか、もしくはこちらの新保険によって保険金が支払われるか、その決定にかなり時間がかかると言うのである。

面倒な話だがそれは仕方ない。
幸い保険に関しては不備がないので経済的な負担を被る事はほぼない。
しかし6週間もの入院を覚悟せねばならないかと思うと憂鬱でならない。

この日初めての病院食をいただく。普通食ゆえに味付けをしっかりしており、違和感なく美味しく頂戴。



午後はレントゲン撮影が行われた。はいを正面から撮影し再度肺の損傷がないかを確認するためなのだそうだ。

夕方には春花と柚花が母ちゃんに連れられてやってきた。
孤独を癒やしてくれるのは、やはり家族の笑顔である。

この日はテレビカードを使ってテレビを見る。
3時はらららと、ゆうがたGET。

夕食は6時30分。


消灯は9時。
背中が少し痛いので多少角度をつけて就寝。
飲み薬のせいか初日と比べるとかなり熟睡できた。

網戸の外からはひたすら新幹線の走行音。昼間は暑い飯山だが、日が暮れるとぐっと気温が下がる。
網戸から流れ込む暦が心地よい眠りを誘った。



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