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プロフィール

なかむら@みゆきの

Author:なかむら@みゆきの
高社山麓みゆきの杜ユースホステル
を営んでいます。
当サイトでは、地元民ならではのお勧めツーリングルート、温泉、B級グルメなどを宿主自らが実走調査を敢行!信州ドライブ&ツーリングにお役立てください。


【旅の記録】
北海道ツーリング2008
北海道ツーリング2009
北海道ツーリング2010
北海道ツーリング2011
北海道ツーリング2012
沖縄八重山紀行2008
沖縄八重山紀行2009
沖縄バイクツーリング2010
沖縄家族旅行2011
栂海新道縦走記2012
沖縄買出し旅2012
沖縄買出し旅2013夏
大阪帰省の鉄道旅2013
沖縄買出し旅2013冬
アメリカ横断2014春
北海道ツーリング2014
沖縄買出し旅2014
アメリカ横断2015
北海道乗り潰し2015冬
家族で沖縄2015冬
タスマニア周遊2016
Overland Track2016
北海道2016夏ドライブ
スペイン巡礼2016冬
タスマニア2017春
北海道2017夏
スペイン巡礼2017冬
瀬戸内旅2018春
日本南北縦断2018冬
瀬戸内旅2019春

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パリを歩く4 〜土産はスーパー「モノプリ」で
パリはどこを通っても同じようなバロック建築が続く。

最初はすごいと思って見ていたが、だんだんその外見にも慣れてくる。
というよりもこの外見があまりにも派手で、「こってり」しすぎている印象を受ける。
むしろルクセンブルクの田舎のドイツ的建築物や、サンチャゴデコンポステラの灰色な街が少し恋しくなったりもする。

私の主観を食べ物で表現するならば、フランスの都会の町並みは「フォアグラ」。

一口目は超絶の美味しさ!
なのだが、そんなにたくさん食べられるものでもない。


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やがてセーヌ川を渡り先日火災で焼けたノートルダム大聖堂が左手に見えてくる。
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時間は4時を過ぎようとしていた。
夕食には早いが、これからホテルに帰ってもう一度で直すのも面倒くさい。

通りがかりのレストランで、フランスっぽい食事をしようと入ってみた。
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一応メニューを見せてもらったがあまりよくわからない。魚が食べたいと言うと、店員の勧めるままにオーダー。出てきたのはこれ。
ヨーロッパで魚料理といえばだいたい白身のタラ。日本の魚介類の多様性に改めて感心する。

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食事が済んだら次はスーパーである。
安くて量を買いたいならやはりスーパーに限る。少なくともお菓子類は土産物屋で買うものではない。

スペインのフロイズ、ルクセンブルクのカクタス、フランスといえばモノプリらしい。

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甘いものはルクセンブルクでかなり買ったので、塩気のあるスナック類をいくつか物色した後に投入した。
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スーパーの店員の愛想のなさはルクセンブルクもパリもスペインもみんな一緒だ。

日本の丁寧さを改めて実感する。
というよりも、すべての分野において、15年20年程でますます馬鹿丁寧(?)になっているのではないか。

仕上げに店の一角にあったケーキコーナーで、びっこ1.95 EURO のバタークリーム製と思しきプチブッシュドノエルを買ってみる。


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持ち帰って、部屋で食べてみたらその甘いことといったら。

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明日はいよいよ出国。
待ち焦がれた日本はもうすぐそこだ。
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パリを歩く3 〜パサージュでスイーツ
日本人商店街を過ぎると、ルーブル美術館北の、人通りで大変にぎわうパリ2区へと差し掛かる。

この一帯にはパサージュと呼ばれる日本で言う「商店街」が幾つか存在する。

パサージュの正式名称は「パサージュ・クヴェール passage couvert(ガラス屋根で覆われたパサージュ)」。パサージュとはフランス語で道と道を結ぶ「通り抜け」を意味し、「通過」や「小径」と訳される。

パサージュは日本で言うところのアーケード型商店街のようなものであるが、形態的には似ていても雰囲気はかなり異なるものである。

現存するものは20箇所程度で、パサージュに入っている店の系統やパサージュ自体の機能というものは地域的に少しずつ異なるらしい。

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そんなパサージュの一角に美しいケーキが陳列されたティーハウスを見つけたので迷わず入ってみる。

サロンドルーヴァランタン
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パリに来たなら一度は入ってみたいと思っていた、絵に描いたようなケーキ屋に心躍る。

季節柄ショーケースにはミニブッシュドノエルがたくさん並ぶ。
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期待にたがわぬ衝撃的美味しさに思わず納得。
と同時に、日本のケーキのレベルの高さにも改めて驚く。
ヨーロッパ居住歴の長い、元ヘルパーでおなじみみきさんがよく言う

「結局日本のケーキは、フランスと競うくらいにかなりレベルが高いんですよ」

というのも頷けるというものだ。

パリを歩く2 〜凱旋門から日本商店街
エッフェル塔では約一時間半ほど過ごす。

次に向かったのは凱旋門だった。
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あまりにもベタな観光地ではあるが、与えられた時間は1日しかないので当然のごとく立ち寄る。
そこから伸びるシャンゼリゼ通りを当然のように歩く。
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ブランドものの店が軒を連ね、カフェには観光客があふれている。
ちょうど昼時だったのでサンドイッチ屋で軽く腹を満たす。
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コンコルド広場の脇を通り
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四つ星や五つ星ホテルの並ぶアーケード下を行く。

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やがて日本商店街と呼ばれる一角に差し掛かる

ジュンク堂書店
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どさん子ラーメン
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ラーメンはだいたい一杯10から13 EURO。
いかに日本の価格設定が安すぎるかが改めて実感できる。

よく日本人は高い値段に対してすぐに「ぼったくり」という言葉を使いたがる。
また付加価値に対して正当に評価しようとしない傾向も少なからずある。

しかしパリでの寿司屋やラーメン屋などの値段を見ていると、これは決して高すぎるのではなく、従業員の給与や店の利益などをまっとうに計算した上での数字なのだろうとさせられる。

よくラーメン店に入ると

幹部候補生正社員募集!月給25万円〜

などという募集広告を目にすることがあるが、欧米の先進国の人たちがその募集広告を見て果たしてどう思うだろうか。



パリを歩く1 〜エッフェル塔
フライトは明日の夜。
なのでこの日はまるまる1日フリーである。

昨日の時点では何もやる気が起こらなかったが、一晩経ってようやく気持ちが落ち着きちょっと観光してみようという気になった。

パリに足を踏み入れたのは今から25年前1994年の時以来となる。

当時、貨物&資源輸送の海運会社に勤めていた私。
所属していた課が請け負った、日立造船桜島工場が製造したルノー向けプレスマシンの輸送と揚げ荷役立会という名目で、ここフランスに派遣されたのだった。

当時25歳の若造が一体何が出来るのかと今になって思えば不思議に思うが、積極的に若手へ権限委譲しようとする姿勢が感じられる、実にいい会社だったと思う。
実際、3日前に発表された東洋経済ネットで、若手が辞めない給与の良い会社のトップ10に、その後継となる会社商船三井がランキングされている。

荷主の担当者が夜討ち朝駆けホテルまで押しかけ無理難題を言いつけ、それこそ穴があれば入りたい気持ちで毎日を過ごしていた。

一定のミッションが完了しいよいよ帰国の目処が立ったのは金曜日だった。
会社に電話をすると心優しい課長は、

「せっかくだからもう一泊してパリ観光してから帰ってきてもいいぞ」という。

しかし当時の私はパリには全く興味がなく、何が何でも土曜日の朝までに東京に戻る必要があった。
会社の仲間と出かける予定にしていた、尾瀬での写真ツアーに参加するためだった。

私は課長のはからいを辞退し、一目散で日本に逃げ帰った。

もちろん帰国後、課長や同僚からは

「パリより尾瀬か?信じられない奴だ」

などと揶揄されたが、当時の私は本当に日本の風景写真を撮ることにしか興味がなかったのである。

あれから25年が経った。


当時泊まったホテルがどこだか全く覚えてはいないが、駐在員と一緒に二ツ星フレンチレストランでコース料理を食べたことだけは覚えている。

コースの一品が、バターソースで和えたフォアグラだったのは間違いない。

とても美味しかったからだろう。

遠目に凱旋門を眺めたのもなんとなく覚えている。
でもエッフェル塔のことは全く記憶がない。



ならばとまずこの日はエッフェル塔を目指すことにした。


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ネットの情報によると時期によってはとてつもなく待たされることがあるという。
予め時間を予約して切符を買っておけばすぐに入れるらしいが、時間もよく分からないのでまずは歩いて現地に向かってみることにした。

時間は9時40分。すでにこの行列。

しかし思いの外行列の解消は早く並び始めてから約30分後にはチケットを買い、ゴンドラに乗ることができた。

エッフェル塔の入場料金は階層によって違う。

2回と呼ばれる低層階が16.5 EURO、最上階の280 M 地点が25ユーロとなっている。

280 M 地点へのエレベーターの輸送能力は、低層階のそれと比べるとかなり少ないので、待ち時間がそれなりに発生すると言う。

しかしチケットオフィスの係員によるとすぐに行けると言うので、迷わず最上階行きのチケットを購入した。
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当初予報されていた雨もなく、まさにエッフェル塔観光日和だった。
東京タワーと違うのは、何れも屋外スペースとなっていてガラス越しではない、生の風景と風に触れられる所にある。

低層階から
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280 M 地点から

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東京と違って高層ビル街は、市内の極めて限られた地区にのみ存在している。

いかに日本が短いサイクルで建物を壊し、新築を繰り返しているかということが、このような景色を眺めてみても改めて実感することができる。

東京タワーから眺めた今から25年前の景色は今とはきっと全然違う。

でもエッフェル塔から眺めた今から25年前の景色は.おそらく今とはそんなに変わらないに違いない。

パリ市内を北から南へ
改札を出たあたりで同じ列車から降りてきたと思われる家族連れに後ろから声をかけられた。

最初何を言ってるかわからず in English please と言うと、


カミーノを歩いてきたんですって? 私たちもいつか行きたいと思っているんですよ!どこまで行ったんですか?


などと聞かれる。
フランスへ行ってきても帆立貝とひょうたんはそれなりに効果を発揮するということらしい。

とにかく疲れ果てていたので、パリでの宿泊は一般のホテルに連泊することにした。

宿泊先は無数に存在するが、せっかくなので木島平中の生徒たちが泊まったホテルをメールで教えてもらい、そちらに泊まる事にした。

しかしパリ東駅からの距離は6km以上。
あまり交通の便が良いとは言えない。

だが6km 程度全く取るに足らないので、市内見物を兼ねて歩くことにした。
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基本的にヨーロッパ共通とも言えるバロック式建築ではあるが、各階のバルコニーに装飾を施された玄関が取り付けられているのが特徴である。

外見はルクセンブルクのそれともまた違って興味深い。

セーヌ川を渡る
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途中雨が降り始めスタバで休憩。
アメリカンコーヒーを注文したが、本当にアメリカンで薄くてまずい。
スペインのカフェアメリカーノとは似て非なるものだ。

チェックイン時間は幸い12時から可能となっている。
雨の止み日が差してきたので歩き始め結局13時40分頃ホテルに到着。

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見た目は大きそうだが実は決してそんなことはない。
円形を形取られたパリ市街。南の「14区」のさらにその端に位置する。

周囲は繁華街ではなくマンションや学校などが立ち並ぶ。
到着してみると日本人学生の団体もちらほら見かけた。

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きっとここは治安がよく、日本人の学校団体向けの指定ホテルともなっているようだ。
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シースルーのフロントは、一瞬それがフロントとは理解できず、逆戻りしてしまったほどである。


従業員の服装もカジュアルで、部屋もまだ必要最低限といった感じである。

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クレルヴォで止まったホテルのような湯船は残念ながら備えられてはいなかった。

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しかし前日のドタバタで疲れ果てた体を癒すには十分すぎる空間だった。


ルクセンブルク脱出
朝5時に起床する。

お母さんはまだ寝間着姿だが、マクスはすでに着替え、私のために朝食を用意してくれていた。

車で駅まで送ってもらう。もちろんマクスの車で。

今度こそ本当のお別れである。
また会おう。そう固い約束をして手を振った。

列車は5時45分発。日の出までまだ3時間もある真っ暗な中、通勤客を乗せた列車がルクセンブルクへ向かう。

6時15分に定刻通り到着。
待ちに待った TGV の姿をプラットホームに見た。
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両端に機関車のつくプッシュプル方式は日本の新幹線方式とは異なる。
オール二階建て車両で、私が25年前に乗ったパリ発ダンケルク行き TGV とはかなり違う車両だ。

指定された席は一階。
座席間隔は LCC 並みに狭く通路も狭い。
東海道新幹線とは雲泥の差である。


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狭いと不評だったJR東日本のE4系と比べてもその狭さは明らかである。


二階席

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時速320km の世界がどんなものか、四年前の東北新幹線で一度体験済みだったが、今回も同じ320 km 走行は期待できる。
ただしルクセンブルクを出発してから南へ100 km ほどの区間は時速160 km に抑えられ、その後2007年に開業した TGV 東線の新線区間に入って初めてその本領を発揮する。

あいにく通路側の席で外はよく見えない。
日の出までにはまだまだ時間があるが、カフェテリアカーに行って、少しでも外が眺められるチャンスを探る。

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スマホの GPS 速度計をセットする。
なかなか320 km を超えることはないが、それは日本の新幹線も同じである。

最高速317km/時を計測した後は概ね305-315の間を云ったりきたりといったところか。

25年前初めて TGV に乗った時、その快適性にいたく感動し、日本の新幹線が劣っていると感じたが、どうやらこの20年で形勢は逆転したように思われた。
ゆれの少なさは日本の新幹線に軍配が上がる。
また座席間隔の広さもまたしかりである。

列車は5分遅れてパリ東駅に到着した。
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ルクセンブルク最後の夜+1
しばらくしてマクスがやってきた。

色々手助けしてくれたことにまずお礼を述べ、結局3日後の22日のフライトに振替ができたとのこと報告する。

ただルクセンブルクからパリまでの TGV の運行状況だけが気になる。
チケットカウンターに行き確認すると、明日の朝6時40分発の運転は決定しているという。
迷わずその便に変更してもらうことにした。

この日はもう一泊マクスの家で一泊厄介になることになった。

自宅のエテルブルックまでクルマで走るが、日本と違い高速道路の巡航速度は高く、エキサイティングである。
まだ免許を取って数ヶ月しか経っていないマクスにパリまでの運転を頼むのはやっぱり酷だった。

学校はすでにクリスマス休暇に入っており、弟くんは家の前の通りで近所の子達と遊んでいる。
雰囲気は大阪交野市の実家の前に似ていた。

疲れきった私に、お茶は飲むか何か食べるかと、相変わらず色々気を使ってくれるマクス。

しばらくして近くの公園に連れて行ってくれるというのでお言葉に甘えることにした。


向かったのは車で10分ほどコルマーベルクのお城。


1845年、ベルギー革命によりルクセンブルクがオランダから分割された後、ルクセンブルグ大公でオランダ王室の一員であるウィリアム2世によって、パスキエ邸から城が譲渡されたという歴史をもつ。

現在はルクセンブルク大公家の別荘として使われていて、在宅中には一番高い所に国旗が掲げられるらしいのだがこの日はその後が見当たらず、不在とのことだった。

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帰宅してしばらくすると今度は MAX が仕事があると言って出かけて行った。
来年ドイツの医大への進学が決まっており、現在は実習として週に何度か日本で言うならば消防署での救急救命に関する実習が行われていると言う。


お母さんが仕事から帰るまでの間約1時間、留守番にもならない唯一の在宅者となった。

やがてお母さんが仕事から戻る。

色々面倒かけたことを感謝し、今回のトラブルを詫びる。

疲れたでしょう?すぐご飯作るからねなどと労ってくれる。

いつしか旅行者はホームステイの人となっていた。


食事はパスタとサラダスープ。
それをお母さんと向かい合っていただく。

私は改めてマックスの機転の良さ、18歳には見えない様々な場面での立ち振舞いや交渉する姿に、一体どうすればあんな風になるのかお母さんに直々に聞いてみた。

「褒めてくれてありがとう」などと照れながらそれでも熱く子育て論について語ってくれるお母さん。

日本とルクセンブルクの教育システムの違い等にまで、話は尽きることがなかった。

ちなみに木島平中学校と姉妹校となっている lcdディーキルシュ校は、公立校ながらも選抜の入試が行われており、概ね全教科平均80点以上でないと入学ができないらしい。

しかも木島平への派遣生徒は2年に一度同じ学年から選ばれ、概ね50人の志願者がある中から10人が選抜されるという。

全学年から募集しても10〜12人しか手が上がらない木島平とは全く次元が違うのである。  

10時過ぎ、マクスが仕事場から戻ってきた。

明日の朝は早い。
しばらく雑談した後、寝室へ戻る。

この日も寝床はマクスの部屋。

マクス自身が、仕事に行く前、新しいシーツに客人用の布団そしてタオルを用意してくれいた。

何から何まで自立しているマクス。
こんな高校生が、はたして日本にいるだろうか。。。。。

西欧の小国ルクセンブルクを歩く旅16 〜刻一刻と迫るフライト時間。迫られる対応

フライトは19時。

まだ焦ることはないと、窓口のスタッフにパリの空港に行くにはどの方法が良いかと尋ねてみる。

しかしこの後、約6時間にわたって撮影された写真が1枚もないのは、身に迫る緊急の度合いを如実に物語っていた。


すると国際連絡バスが一つの方法だと教えてくれる。
詳細は駅の外にある旅行代理店で聞けとのこと。

訪ねたのはルクスエアーの旅行代理店窓口。

複数のカウンターがあったがいずれも埋まっておりしばらく待つ。約5分後、長身の白人女性のカウンターが空く。
笑顔で着席を促され、とりあえず事の顛末と身に降りかかる緊急事態を説明する。

しかしバスのチケットについてはよくわからないと言う。
ならばと、パリまでのフライトの空き状況を尋ねてみた。
しかし、無情にも全ての便が満席。

今度は、手元のヨレヨレなEチケットを見せながら、翌日以降の便に振り替えが可能か、日本航空に聞いてもらえないかと頼む。

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尋常でなく嫌そうな顔をあらわにされる。
日本人ではまずこのような対応はしない(笑)。


とはいえ、何が何でも尋ねてもらいたいので、「金は払うから頼む!聞いてください!」と懇願する。

しばらくやり取りの後、得られた回答は「アムステルダム経由なら明日1便振替可能な便がある。
ただ申込者からの直接の電話が必要とのこと。
ヨレヨレのEチケットの片隅に電話番号を書いてもらい店を出る。

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この時点で10時15分。

電話番号をもらったものの残念ながら私の携帯しているスマホは通話SIMが入っていない。

ならば公衆電話を試そうと、駅構内の公衆電話が並ぶエリアまでやってきた。
近くにいた若い警備員に使い方を尋ねる。
しかし若さゆえに分からないと無碍にされてしまう。
ならばと、ルクセンブルク国鉄案内所で尋ねてみる。

昨年夏、長野駅で列車が遅れたことで自宅に電話すべく、みどりの公衆電話を使うべく試みるも、使い方がわからず路頭に迷い、交番に駆け込み助けを求めた春花にも似た状況だった。

すると、

「キヨスクでプリペイド電話チケット買って使うのよ」

と冷たく教えられる。
日本はあらゆる分野において「接客語」が存在し、国民はみなニコニコ親切な対応に慣れきってしまっているので、時には外国に出て行ってこのような辛い思いをして鍛えられるのも良いかもしれない。(笑)

お客は神様などでは決してないのである。


即キヨスクに向かいチケットを買い求める。

5ユーロ分か、10ユーロ分かどちらがいいかと尋ねられたが、何も考えず5ユーロ分を選択。通話に一体いくらかかるのかもわからないままに。


再び公衆電話エリアに戻る。
相変わらず重いリュックサックと土産の手提げ袋を抱えたままである。
周囲からきっと「かわいそうなアジア人」に映ったに違いない。

しかしその公衆電話の使い方がよくわからない。
キヨスクで渡されたチケットの説明書の通りダイヤルするもののなかなかうまくいかない。

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4回目にしてようやく相手の電話番号インプットするところまでこぎつける。しかし

ただいま電話が大変混み合っております。しばらくたってからおかけ直しください。と英語で流れる。



3回目でようやくつながる。
しかし、旅行代理店で聞かされていた乗り継ぎ便についてはすでに満席で、次空いていているのは12月22日までという。

この時点で3日も待つなど私の頭の中には選択肢として一切存在せず、それならば結構ですと交渉を打ち切る。


それにしても英語での電話のやり取りは本当に厄介である。
JAL の窓口だと安心していたのに。

おそらく私の人生史上最大のピンチ。まさに五里霧中。しかも外国。

時計の針は11時半。




次第に焦りが出る。頭の中は、何が何でもこの日のフライトまでにパリにたどり着く事だけが脳内を支配してくる。

マクスに電話を試みる。
公衆電話の扱いにも慣れてきた。

アイハブBIGアンドシリアスプロブレム!

と切り出し、詳細に事情を説明する。

窮地に追い込まれていたワタシはついつい「最悪、君のクルマでパリまで送ってほしいのだが。お金は払うよ」と、突拍子もないお願いを口にしてしまう。

私も昨冬、怪我をして運転できなくなってしまったゲストを首都圏まで運転し送り届けたことがあった。
パリはそれよりもまだ遠いが。
 

優しいマクスは「一応それも頭にはある。母に確認して何か良い方法がないか、聞いてみる。10分後に電話ください。」

と一旦電話を切る。


10分後また電話。
するとこんなアイデアを教えてくれた。

ルクセンブルクからフランスロレーヌまで大急ぎでタクシーを飛ばせば、運転が確定しているパリ行き TGV に間に合う。
どう?

ロレーヌがどこにあるかもわからず、Ok Ok などと、生返事を繰り返す。とりあえずメールで送ってもらうよう頼んだ。

マクスは私を気にかけ、今から私のもとに駆けつけてくれるという。

しかし電話を切った後グーグルマップで調べたところ、ルクセンブルクから南へ80 kmもの先にある町だった。「アルザスロレーヌ地方」でよく耳にする。

しかしその時点で時計は12時前。

ロレーヌのTGV 発車まであと1時間10分。たった1時間強で80 km もの距離をタクシーで飛ばすのであまりにもリスクが高すぎる。

その方法は諦めていた。

次第に同日中のパリへの移動はほぼ困難な情勢へと変化してくる。

もう一度日本航空センターへ電話を試みる。なかなか繋がらないが、諦める根気よく続ける。
少しでも聞き取りやすい英語を話す人であることを祈るばかりであった。

女性が出た。
同じように事情を説明し、ヤハリ22日の羽田行なら席を確保できるという。
この際、背に腹は代えられない。

と、電話が切れた。5ユーロ分を使い果たしてしまったらしい。

急いでキオスクに走り、今度は10ユーロ分を買い求める。
ペラペラな紙の「テレカ」は今の私にとって「命の電話」そのものであった。

また何度か待たされる。
しかし根気よく待ち続けた。

そしてようやく、繋がる。先程の女性だった。
相手もすぐそれと気づき、話を進める。そしてトラブル発生から3時間半後の13時過ぎ、晴れて22日の羽田行への振替が完了した。

まさに命が縮まるような思いをした3時間半。
精魂尽き果てその場にしばらくうずくまってしまった。




西欧の小国ルクセンブルクを歩く旅15 〜緊急事態発生
ルクセンブルク最後の夜はユースホステルルクセンブルクシティ。

ここの施設は非常に規模が大きく、しかもランチ営業まで一般開放している。
9.9 EURO でスープ、サラダ、メインディッシュ皿にデザートまでつく。

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グルントの一角に位置しており、観光するのにも非常にロケーションが良い。

そんなユースホステルが、ルクセンブルク最後の夜の宿となるはずだった。

翌朝7時前には朝食を食べ、8時に出発。
古い町並みを眺めながら、駅に向かう。


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国際列車専用カウンターへ向かい、チケットの発券を受ける。

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発車案内板にも今のところ特段の表記はなく、運転されるものと思われていた。
ただ発車番線の表記が無いのが少し気にはなったが。

ルクセンブルクの鉄道ももう見納めだと思いホームで佇む。
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ベルギーへの国際列車が発車していった。
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ディーキルヒに向かうコイツだけ乗車を果たせなかったことは少し後悔が残る。
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9時を少し回った頃、TGV パリ行きの発車番線を確認しに再度コンコースへ戻る。
しかしそこで見たのは黄色い二重線で文字で発車時間が消された表示だった。

運休なのか?

カウンターに駆け寄ると果たしてその通りで、次の運転列車は何時になるか全くわからないという。
 
緊急事態発生である。

パリシャルルドゴール空港のフライト時間は19時。どうする?オレ。






西洋の小国ルクセンブルクを歩く旅14 〜ナイトマーケット&日本食レストラン
今年はマックス君一家と再び落ち逢い、夕食を共にすることになっていた。

待ち合わせ場所は、ルクセンブルク大公館前。
国家元首の官邸宅が市街地のど真ん中に存在すると言うのはなかなか珍しい。
前庭もなくフェンスもない。
正面にはカフェが営業しているし、大公館前には無造作に自転車が置かれている。

守衛の兵隊が2名睨みを利かせている。
一人は正面をじっとただ見つめ、一人は30Mぐらいの間をロボットのようにコツコツ靴を鳴らしながらひたすら往復を続けている。

何も往復しなくても、二人で等間隔で正面を向き、首を左右に振っていればそれで十分警備を果たせると思うのだが。
ひょっとして守衛の運動不足解消の狙いがあるのかもしれない(笑)

どうやら3往復に一回交代するルールがあるようだ。

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とそこに中国人観光客の団体がやってきた。
ロボットのように動く兵隊はやはり興味の対象で、一斉にスマホが向けられる。
しかしどんなにカメラを向けても、微動だにせず、淡々と任務を全うしていた。

4時にマクス一家と合流し、市内を案内してもらう。

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この街でもクリスマスマーケットがきらびやかだ。
普段は駐車場であるこの場所も12月1日から12月25日まで、毎年出店が彩るという。
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子供二人と一緒に高速観覧車に乗る。
日本では考えられない高速回転に、ちょっと驚いた。


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ルクセンブルクは富裕層も多いので、旧市街ではブランドものストリートも存在する。
エルメス、グッチ、その他超有名ブランドの店が軒を連ねている。
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かといって高級外車ばかりであふれかえっているわけではないというのがまたこの国面白いところ。
国民は日本人と似て至って慎ましやかなのである。

7時になり、夕食会場へ向かう。
日本食レストラン
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「あわだ」と読ませるらしいが、普通の日本人の辞書の中に、この漢字と読みは存在しない。
久しぶりの日本の味にワクワクすると同時に「珍百景」の期待が高まる。

ざっと見渡したところ、アジア系の従業員は数名確認したが日本人らしき人はいない模様である。

メニューが渡される。

店内は有名銘柄の焼酎や日本酒のボトルで埋め尽くされている。

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ネイティブジャパニーズのチェックを受けていないメニューに少し顔がにやける。
おそらくこのレストランのオーナーは、日本好きが高じてレストランを開業してしまった現地人なのだろう。

私は迷わずかつ丼を注文。
お母さんは寿司の盛り合わせ、子供達は親子丼を注文した。
22ユーロのカツ丼が一体どんなものなのか期待が膨らむ。

日本式ではない箸の置き方
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そして出てきたカツ丼。
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オーソドックスな卵とじ式である。


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懐かしの味に、顔がほころぶ。
しかし日本のカツ丼と比べて違うところは

もも肉を薄く叩いて伸ばして揚げているので、ジューシーさがなく、肉厚感にも欠ける。
ただ味は良かった。

一緒に添えられた味噌汁は、具の豆腐が妙に小さく、業務用の一人前即席パックではないかと思われる。
いりこや昆布、鰹出汁の風味は全くしなかった。

店内は非常に混んでいる。

サイゼリヤや、キャナリイロウを本場イタリア料理だと喜んで食べている日本人ときっと同じなのだろう。

食事をしながら明日の予定について尋ねられる。

10時10分発の TGV に乗ってパリに向かうと話しと、最近ストライキが頻発しているから要注意よ!と注意を促される。
念のため各関係サイトを調べてもらったが、今のところ当該列車の運転には問題ないとのこと。
とりあえず安心した。




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