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乗り鉄@京阪 |
実家での滞在中は、所用で河内天美、そのついでに京阪の一日フリー切符を利用して乗り鉄をほんの少し堪能、2年ぶりに京阪特急に乗りました。
建造後30年が経とうとしているのに、一切の古さを感じさせない、物持ちの良い京阪を象徴する素晴らしい車両であります。 プレミアムカーは勿論のこと、ダブルデッカー車の2階席の静粛性は鋼鉄製車両ならではのものがあり、寝台専用車両にもまったく引けを取りません。
まだあと20年くらいは第一線で活躍することでしょう。

かつて、京阪は阪急に比べると乗り心地が悪く(カーブが多いという意味ではない)、劣るというイメージでしたが、それはもはや過去のハナシであります。
新旧入り乱れる同社の車両群 こちらは昭和30年代製の2000系を改造した2600系。 車内化粧板などはデビュー当時のままでさすがに昔を感じさせますが、それでもまだまだ第一線で活躍中です。

この日は、まず私市~徒歩で交野市~枚方市~出町柳


特急に乗って~天満橋

大阪メトロ~天王寺~あべの~近鉄南大阪線~河内天美


あべの~心斎橋~と経て 千日前の丸福コーヒー本店へ。

普通の喫茶店でここまで濃く深い焙煎の珈琲を提供する店は極めて稀でして、その味わいはちょっと特別なものがあります。
はじめはストレートで、チビリちびりといただきまして、最後にミルクを注ぎ頂く。 深煎り濃厚珈琲ならではの楽しみ方なのです。

半月ほど前にウチのライブラリーに入庫した超短編集「月とコーヒー」を持ってきました。 電車移動中にスマホを眺めているとすぐにギガがなくなってしまいますので、ここのところ汽車旅に出るときは必ず本を持ち歩くようにしてるのですよ。
3‐4編読み店を後にしました。
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雪国志向の原点 |
今でこそ木島平の雪国生活があたりまえとなりましたが、実はその原点は振り返ることいまから39年前、1982年1月15日にさかのぼります。
12月も中旬を過ぎたころ、クラスの中に、前の年に、琵琶湖の北部の「近江今津」に行って、雪見をしてきたと自慢気に話す友人Kがいました。
いわゆる「五六豪雪」で近畿地方北部は未曽有の豪雪に襲われたのでした。
とにかくスゴイ雪だった 雪原でプロレスごっこをして遊んだ
大阪に住むものとしては経験したことのない大雪は一種の憧れのような存在でもありました。
ごくまれに降り積もる雪を部屋から眺めては「もっと降れ!」と念じたものですし、朝、庭にうっすらと積もった雪が太陽光線で溶けていく様に、得も言われぬ寂しさを感じました。
‐ 次積もるのはいつだろうか?
とにかく雪は憧れの存在でもありました。
Kは、言いました。 「今度、雪見に行こう。」
そうなると話はとんとん拍子に進みました。4人の仲間を集め、福井県を目指すことにしたのでした。
よくわからないまま、とりあえず緯度的により北に位置する北陸本線沿いの敦賀をと定め、きっぷを買いに津田駅まで出かけました。 当時は最寄りの国鉄駅では長距離切符を買うことができず、一つ先の駅まで遠征しなくてはならなかったのです。
切符は京都から。しかし敦賀は京都からの営業キロが90.1km、学割は営業キロ101km以上から有効ですので、敦賀までの切符を買ったのでは割引がききません。
じゃあその先の今庄まで買うことにしよう。
もちろん少年たちは今庄がどんな場所か、全く知る由もありませんが、もし何かあっても「今庄」という場所まではいくことができることになりました。
その時買い求め携えた時刻表は今なお大切に取ってあります。 表紙は破れてどこかに消えてなくなってしまいましたが。

京都を9時頃に出る普通電車米原行きに乗り、米原から北陸本線です。
今でこそ敦賀までは一本の列車で行き来が出来る便利な世の中。ですが、当時は普通列車での直通運転は存在せず、すべて米原での乗り換えが必要でした。
乗り込んだのは長岡行き523列車。米原を10時33分に出発し、終点の長岡には23時23分に到着するという恐るべき長距離普通列車でありました。

いまなお私の鉄道趣味の重要なポジションに位置する「録音」。その初めての経験がその時乗った高月~敦賀間の音風景でありました。
安物の香港製100円カセットテープにモノラルラジカセ、モノラルマイクでの収録だったものの、当時の仲間の声が収録された音源は今でもウチのどこかに眠っているかもしれません。
列車は北へ進路をとりました。
録音されている音声を聞くと当時の様子が蘇ってきます。
🎤次は余呉です。 余呉、近江塩津、新疋田、敦賀の順に止まります。
余呉当たりでは30cmほどの積雪がありました。 イイ感じだ。もっと深くなれと移り行く車窓にへばりついていたのですが、やがて積雪量が目に見えて減っていくのが判りました。
🎤あれ?なんか、雪、へってきたんちゃう?
敦賀に到着すると、先ほどまでの真っ白な銀世界が嘘のような、みぞれだけがただ虚しく降るプラットホーム。 赤茶けたホームのコンクリートには水たまりが出来ていました。
🎤もうひとつ先まで行こ。雪、ふえるかもしらん。
当時は地形による雪の多寡があることについては全く理解しておらず、ただ北に向かえば雪がたくさん積もっているに違いないと考えたに過ぎません。
敦賀で30分ほど停車したのち、そのまま長岡行きはさらに北を目指しました。
敦賀を出ると全長13800mの北陸トンネルに入ります。 高速で駆け抜ける特急でさえも通り抜けるのに8分ほどかかりますが、EF70電気機関車のけん引する鈍足列車は10分以上かかりました。(当時の日記に記録しいる)
頼む、雪、積もっててくれ!

とそこは、薄墨色の水墨画の世界。 さきほどまでみぞれだった空は粉雪に霞んでいました。
スゴイ。凄いぞ! 少年たちはただひたすら大喜びです。
今庄駅のホームには軽く30cm以上の新雪。 いままでテレビでしかみたことのない、一面の銀世界が現実のものとなって現れたのでした。
1982年1月15日、12時29分の出来事でした。
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