|
 |
|
FC2ブログランキング |
↑ ↑ ↑
ブログランキング参加中!
1日1回クリック下さいネ!
|
|
 |
|

東武~野岩鉄道で奥会津縦断 |
栃木駅で東武鉄道に乗り換えます。 栃木~西若松の乗車券は4000円弱、接続の関係上、下今市まで特急スペーシアを選択しましたので特急料金が860円加算。

それでも、栃木から会津若松まで、奥会津を縦断しながら4000円ちょっとで行けるのは、非常にお値打ちな汽車旅といえるのではないでしょうか? ちなみに、同じ区間をJすべてJRを使い、小山、郡山経由でたどってもほぼ同じ金額なのは偶然の一致か!?
それにしてもスペーシアの乗り心地は抜群です。 業界では知られた東武鉄道の卓越した保線技術もあって、特別料金を徴収するだけの価値を提供している列車としてはかなりハイレベル。 1990年登場の車両で、車内の化粧板は若干のくたびれ感は否めませんが、シートの形状、厚みも秀逸ですし、床下の遮音材が分厚いらしく、高周波がことごとくカットされた、実に重厚な静粛性抜群の車内環境が保たれています。

JR特急の「サンダーバード」や「いなほ」など、全く足元にも及ばないプレミアムな乗り心地です。 1980年代後半に設計製造さえれた車両はバブル時代ということもあってか、往々にして出来がイイものが多いようにも感じます。
たった30分間の乗車でしたが、東武鉄道の底力を思い知らされたひと時でもありました。

下今市で鬼怒川線に乗り換え。

おととしSL運転を開始した同社ですが、ここ下今市がSLの起点となっています。

駅名標や、プラットホームの洗面所、ありとあらゆるところに昭和レトロ感を醸しています。

JR東日本が磐越西線で走らせているSL列車向けの似非?レトロ駅名標とは一味も二味も違う、リアルさに東武鉄道のこだわりを感じさせます。
磐越西線に見られる駅名標

結局はセンスの問題なのですがネ。
下今市からは鬼怒川線でいよいよ山間部へ分け入ります。 野岩鉄道&日光線の主役である6050系。

スペーシア用車両よりも少し前に製造された車両ですが、実はこの車両、とても乗り心地がイイと評判です。 今から30年近く前、初めて飯豊山登山に出掛けた帰りに、一度だけ会津若松から会津鉄道&野岩鉄道で浅草まで乗りとおしたことがあります。
その時の印象はただただ「乗り心地が素晴らしい」のひとこと。 特に日光線から先の本線区間での揺れのなさ、静粛性には痛く感激したものです。
その秀逸極まりない乗り味がいまなお鮮明に記憶に残っており、いつかまた東武線~会津を縦断したいと思い描いていましたが、今回その体験を味わおうと、あえてこの路線を選んだという次第。
6050系は阪急の関連車両会社であるアルナ工機の設計製造であるというところも、また見逃せません。
いまでこそ、各社が投入する新製車両は、おしなべて質の均一化が図られているように思います。 が、昭和50年代、アルナが製造する阪急電鉄の車両は他社の車両を一歩も二歩もリードしていたと思います。
車内の質感はもちろん、静粛性、乗り心地など、さすがは阪急、さすがはアルナと、関西人の鉄道ファンはは感じていたはずです。
その6050系は、VVVFではない従来型の抵抗制御。 遮音のきいた躯体に、非ボルスタレス構造の厚みを感じる台車の乗り味。 115系やE129とはあきらかに異なる、分厚いクッションの座り心地と微妙な傾斜のついたシートバックを備えたBOXシートに、古き良き長距離急行列車の旅を感じます。

鬼怒川温泉で10分停車。

車内は一気に閑散とします。 なんせここから先は、着工されたものの長らく放置されていた未成区間を第三セクターとして工事再開、開業にこぎつけたある意味特別な区間。 令和の今となっては、こんな山奥に何故鉄道が走っているのか、まことに信じがたいともいえる秘境路線でもあります。
駅名は「XXX温泉」のオンパレード。2両編成の列車の乗客はわずか3-4人。

県境を越えるとそこは会津地方。残雪の深い森を淡々と走ります。

会津高原尾瀬口から先は川沿いの盆地を行きます。

所々で短尺レールが使用されているのには驚きました。
|

会津鉄道~喜多方まで |
6050系電車の旅も会津田島で終わり。 少し時間がありましたので、いったん改札を出て外に出てみました。

待合所の売店はなかなかの充実です。 が、利用客はまばら。

会社員だったころ、頻繁にこのあたりを車で行き来していました。 もう30年も前のハナシになりますが、当時の面影はまだ至る所で垣間見られて少し安心しました。
会津鉄道とはいえ、赤字ローカル線だった会津線のなれの果てですから、当然の如く乗客はまばら。 湯野上温泉から先は車内にはたったの2人。

日によっては空気だけを運んで往来しているディーゼルカーも相当数存在するのではないかと察せられます。 いま全国各地で赤字ローカル線の存続が議論されています。
残雪に覆われたプラットホームと道路を結ぶ階段。 人が通った形跡がありませんから、きっとこの日は誰も乗り降りがないのでしょう。

自治体によって支えられるいわゆる三セクは税金を投入する限り生きながらえますが、JR経営の路線はいよいよ廃線の二文字が忍び寄ります。
残照の会津盆地。

終点の会津若松

喜多方行きに乗り換え。

17:40頃喜多方に到着し、レンタカーを借りて雄国川前へ。 いいやまの盆地を巨大化したような会津盆地を見下ろす通称「恋人坂」へ。

かつてここから真冬の飯豊山の景色を眺め衝撃を受けました。
今居を構える木島平の傾斜地の風景とも通ずる、雄大な山並みと散居村。 少し時間が遅く、夜景になってしまいましたが、また明朝、出直したいと思います。
夕食はラーメン。 煮豚バラ肉チャーシューがメジャーになったのは、おそらく喜多方の坂内食堂の「肉そば」だと思います。 今から33年前の1988年2月、初の東北旅行に出かけた折泊まったのが喜多方。 駅前にあった「おぐろ」という民宿の主人が、ラーメンを食べるなら坂内食堂の肉そばがお勧めと紹介してくれました。
あの頃はまだ観光化しておらず、日没後の店は閑散としていたのを今でもはっきりと覚えています。 鉢一面を埋め尽くすトロトロの角煮スライスに大変衝撃を受けたものです。
この店も煮豚チャーシューを売りにしていて、90年代以降、何度も足を運んでいますが、肉のスライスが随分と薄くなった印象です。



トロトロの角煮なのですから、一定の厚さがあってこそ、その真価が発揮されます。 値上げしたくない気持ちもわからなくもありませんが、枚数を確保するためにカットの厚さを薄くするというのはどうかと思います。
価格を据え置きつつ品数を減らしたり、量を減らす手法は、食堂や宿泊サービスにおいては決して得策とはいえません。 (ということを同様の経験を経て学習するのでありました。)
この日の宿は市街地の旅館。 ビジホでないところがミソです。
旧館母屋

実際の宿泊棟

寝室はベッドタイプ。 旅館なのにビジホ的な部屋なのが意外でありました。

|
|
|
|