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プロフィール

なかむら@みゆきの

Author:なかむら@みゆきの
高社山麓みゆきの杜ユースホステル
を営んでいます。
当サイトでは、地元民ならではのお勧めツーリングルート、温泉、B級グルメなどを宿主自らが実走調査を敢行!信州ドライブ&ツーリングにお役立てください。


【旅の記録】
北海道ツーリング2008
北海道ツーリング2009
北海道ツーリング2010
北海道ツーリング2011
北海道ツーリング2012
沖縄八重山紀行2008
沖縄八重山紀行2009
沖縄バイクツーリング2010
沖縄家族旅行2011
栂海新道縦走記2012
沖縄買出し旅2012
沖縄買出し旅2013夏
大阪帰省の鉄道旅2013
沖縄買出し旅2013冬
アメリカ横断2014春
北海道ツーリング2014
沖縄買出し旅2014
アメリカ横断2015
北海道乗り潰し2015冬
家族で沖縄2015冬
タスマニア周遊2016
Overland Track2016
北海道2016夏ドライブ
スペイン巡礼2016冬
タスマニア2017春
北海道2017夏
スペイン巡礼2017冬
瀬戸内旅2018春
日本南北縦断2018冬
瀬戸内旅2019春

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ESTA申請は済んでいますか?
ウチのお客さんからは日頃いろいろな旅の体験を聞かせてもらうことがあるのだが、世界各国で行けそうでなかなか行けそうにもない場所の一つに南米パタゴニアがある。

時間的なことはもちろんだが、航空券の高さがネックでもある。

そんな折、今年4月新潟大に入院時、時間を持て余して空想世界旅行を楽しんでいた数日間がある。
さかのぼること8年前の事故入院の時もまた飯山赤十字病院で同様の世界旅行にいそしんでいた。

確かあの時は、フィンランド往復中国乗り継ぎで68000円なる格安チケットを見つけ、ヨーロッパ旅行も思ったよりも簡単に手の出るところにあることを知った。

そして2023年4月。
11月下旬の出発でチリプンタアレナス往復を検索すると往復17万円台というのが数多く出てきた。
もちろん直行便はないので乗り継ぎが前提となるが、結局どのみち乗り継ぎでしか行けないのだから、アメリカ西海岸でさえ直行便は20万円以上、ヨーロッパ往復でも中東乗り継ぎで15万円程度の相場と比べればプンタアレナスが17万円とは破格ではないか。

もちろん行程は長い。
東京からロサンゼルスまで9時間45分、ロサンゼルスからチリサンチアゴまで10時間40分、さらにそこから2時間。
ロサンゼルスからサンチアゴまでの所要時間が太平洋横断よりも長いのには驚いたが、一般的に見るメルカトル図法の世界地図は、日本~北米の距離が実際よりも長く示されるゆえのマジックである。

1日考えた結果、意を決して申し込むことにした。

そして迎えた11月下旬、ゆずかの卓球試合の送りついでに長野駅から新幹線に乗り込んだ。
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東京で成田エクスプレスに乗り換え成田空港第二ターミナルへ。
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今回乗るのはLATAM AIRLINEという南米の航空会社だが、ワンワールド加盟社なので実際の運航はJALとなる。
JAL便だとJL62。2桁番号にいかにもアメリカ主要路線のプライドを感じる。

成田に到着したのは12時過ぎだったが、すでにチェックイン可能というのでチェックイン機に向かう。
パスポートを読み取ると無事私の名前が出てきた。が、チェックインは受け付けられないという。
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係員を呼ぶと

ESTAは申請されましたか?

という。

乗り継ぎで入国はしないのでその必要はないと勝手に思い込んでいたのだが、違っていた。


じゃあこれからオンラインで申請します


平静を装っていたが内心穏やかではなかった。

さっそくスマホで当該ページを開き手続きを進める。
プラス料金を払うと「エクスプレス」手続きで2時間以内に発給されるという。 ただいまの時間12時45分、搭乗機出発は17時5分。余裕で間に合うと見た。

しかし気持ちの焦りが指の震えに現れていた。

しかし途中の画面以降、何度やってもうまくいかない。
パスポート写真が上手くアップロードされないのである。

その間30分以上を費やしてしまった。ついに業を煮やし係員に助けを求める。
同じようなケースは比較的あるらしく、ラミネート加工された手続きマニュアルを見せてくれる。

しかしうまくいかない。刻々と時間は過ぎていった。

この時の心情は2019年に体験したパリでのストライキで帰国不能となった出来事そのものだった。
もし時間までにESTAが発給されず渡航不能となったらどうしよう。。。。
格安券ゆえに払い戻しはできない。

試しに翌日便でサンチアゴまでの航空券を検索してみたら、中東、ヨーロッパ経由で22万円、所用総時間は50時間と出た。
28日にプエルトモンを出航するナビマグにはかろうじて乗船できる計算ではあった。
しかしそれだけは避けなくてはならない。


使用していたのは最近機種交換したSONYである。
ひょっとしたら端末を変えればうまく機能するのかもしれないととっさに判断し、写真撮影用に持参しているHUAWEIで試してみた。

するとあろうことか、スイスイと読み込み最終画面までたどり着くことができ「申請受付完了」となった。

だが、そこで終わりではない。
承認されるかどうかは連絡があるまでわからない。

が、10分後メールが届いた。
写真が不鮮明で送りなおせとのことである。

少しでも顔写真部分に反射があるとNGだというので、焦る気持ちを抑えて何度も何度も撮影しなおす。
そしてコレで間違いないだろうという推しの一枚を送信すると、それ以降返信が途絶えた。
おそらく写真が承認されたのであろう。(と判断した)
だが、相手から最終的にメールが届かないことには発給完了と理解することはできない。

刻々と過ぎ去る時間を気にしながらメール画面を何度もリロードして朗報を待った。

そして時計の針が16時前にを指し、いよいよ搭乗締め切り時間が近づいてきたので有人チェックイン窓口に並んだ。待っている間に無事承認が下りると期待してのことである。

とそこにアナウンスが入った。


ロサンゼルス行き62便に搭乗のナカムラヒデタカさま。お伝えしたいことがありますので近くの地上係員にお声がけください。


搭乗手続きの催促だろう。もちろん相手方は午後イチの時点でESTAが未発給であることを知っている。

- ESTAは取れましたか

- 2時間前にエクスプレス発給して受理されましたので出来ていると思うのですが。。。。。

- 承知しました


端末を操作する女性の顔はおそらく忘れることができないだろう。
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女性の顔から安どの表情が見て取れた。
電話の相手に「あ。取れてますね。了解しました」の声が聞こえた。

出発50分前、晴れて私はアメリカ行きの飛行機に搭乗する権利が得られることになった。
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25時間の長旅
B787はほぼ満員の乗客を乗せて定刻に出発した。
幸い窓側の席があてがわれたが、太平洋横断の西海岸では陸地を眺めることは到着前の1時間ほどに限られるのだが。
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ほどなくしてスナックや飲み物が配られ、さらに夕食
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普段はANA派だが、数少ない搭乗経験からいうと食事はJALの方が凝っているかもしれない。


到着前の軽食は無印と提携して作ったという中華丼がとても美味しかった。
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着陸前にようやく陸地が拝める。
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ロサンゼルス入国は思いのほか時間がかかった。
指紋の撮影があることを思い出した。 前回アメリカに行ったのはもう8年も前のことなので、入国手続きに何が行われるのかなど忘れてしまっていたのだった。
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歩いてターミナルを移動し、15:05発のLATAM航空の乗り継ぎ場所へ向かう。

4時間以上時間があるが、あえて何処にも出かけはしない。成田でのすったもんだがトラウマになっていたのは間違いがない。

スタバで珈琲を頼むと4.8ドル。800円弱である。
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サンチアゴ行きは159番ゲートから。
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飛行機好きではあるは、10時間のフライトを2回乗り継ぐなどという経験はもちろんはじめてである。

最後尾の窓側から2列目があてがわれたが、窓側には大変大柄な女性。お相撲さんなみの体格にチョットひるむ。

南米らしい保安整備の案内ビデオがなかなか面白い。
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機内は点灯中であっても終始こんな感じで薄暗い
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夕食はビーフとポテト
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朝食はオムレツ
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ソニーのスマホは暗所性能が悪すぎてイケない。やはり2019年モデルのHUAWEIがまだまだ上である。
実際SONYはここ最近スマホでは苦戦している。

正直なところ、スマホに求める性能は「映える」描写性能である。
残念ながらその点でGALAXYやIPHONE、HUAWEIにはチョット負けていると言わざるを得ない。

SONYはカメラでシェアを握っているので、その路線を踏襲し本格的コンデジっぽい機能を沢山取り入れているが、スマホはスマホであり、求めるものは速写で上質。イチイチ設定を変えて撮ることに操作する楽しみを求めたりはしないのである。

最新モデルにNIZIUを起用し女子ウケを狙う作戦なのだろうが、同価格帯なら、若い女子はみなiPIhoneを選ぶのである。



サンチアゴでは入国カードを紙に代わってスマホで申請するようになっているらしい。到着前のアナウンスをあまりよくきいていなかったのだが、降機後、通路で人だかりができていたので尋ねてみると、「ここにあるQRコードを当てて申請する」という。

出国のすったもんだと言い、チリの入国と云い、何事にも細心の注意を払い確認し、耳を傾けなくてはならないとあらためて感じた次第である。
2019年にパリで経験したストライキの件も、事前に入念に調べていれば列車が運休になることは分かっていたであろうし、行き当たりばったりにもやはり限界があるということを思い知った次第である。

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サンチアゴ空港は市街地から遠く離れた原野の中にあるので、ロサンゼルス同様、周囲をうろつくことなく素直に国内線乗り継ぎターミナルへ移動した。

これで10時間のフライトを2回こなし、成田出発からの経過時間は25時間あまりとなった。
精魂尽き果てた感じもあるが、あと1フライト、なんとか頑張らねばならない。


プエルトモントにて
サンチアゴまでの合計20時間のフライトを終えたらいよいよ最後、プエルトモントまでの国内線移動となる。

プエルトモントといっても日本人にはなじみのない地名ではあるが、20代のころ勤めていた海運会社のウッドチップ専用船が頻繁にこの場所に立ち寄っていた。
日本の製紙会社にとって主たる調達先は北米やオーストラリアなのだが、需要が低下した時などには時間稼ぎのために遠くチリへ配船されることがしばしであった。
北米シアトル付近の港なら、片道2週間程度で到達できるが、チリとなると1か月を軽く超す。

そんな自分にとって文字の中での世界でしかなかった場所にいよいよ実際に降り立つことになる。

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自動チェックイン機で手続きしようと試みるも機械が途中でフリーズしてしまい、係員に頼んで操作してもらった。
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飛行機は幸運にも進行方向左窓側が取れた。
パタゴニアに続く山並みを一望できるはずである。

通路側の席の男が「代わってくれないか?」と言ってきたが、こちらとしては好んで窓側を選んでいるゆえにそんなリクエストには応じることはできない。一言 NO といって断った。

景色は期待通りであった。
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何処までも続く雪山、プエルトモントが近くなると、湖水エリアが雪山とコントラストを奏で美しい。
プエルトモンからアルゼンチン側に越えたところに南米のスイスと呼ばれるバリローチェーが控えているが、おそらく眼下に見える景色も同じような風景なのだろうと想像してみる。
氷河までも確認できたのには感激である。


LCCではないのでスナックと飲み物が配られる
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空港から市街地まではバスに乗る。
3000チリペソ。クレジットカード払いには手数料が上乗せされていた。
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30分後、満員の乗客を乗せて出発。港町ということもあって、車窓からの風景は根室の市街地のようでもある。
そして20分足らずで海岸そばにあるバスターミナルに到着
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時間は3時前だがすでにチェックインは可能である。
エアビ―のアプリに表示された住所をクリックすると自動的にグーグルマップの画面に変移、ナビが開始される。

海辺から続く坂はどこか函館のようでもある。

小樽の水天宮に向かう古びた集落にも似た雰囲気を感じる。港町が醸す風情は世界中どこへ行っても共通なのかもしれない。
遠くに残雪をたたえるオソルノ山が見えている。
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わずか10分足らずで指定された場所に到着した。
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ホストは20代後半とおぼしき若者で、同居の両親と住む自宅の一室が宿泊室に充当されている模様である。
トイレ洗面、シャワーは自宅の設備の共用となっていた。
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とにかく疲れ果てていたので、まずはシャワーを浴びて横になる。
天井からこそこそ物音がするのはネズミに違いない。

居室の天井からネズミの足音が聞こえる経験をしたのは、1995年の6月頃、飯豊本山小屋以来かもしれない。
あの時は床に降りてきたネズミにザックの食べ物を食い散らかされたが、今回はその心配はなさそうである。
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8時頃まで仮眠し、いったん外出、夜用の食料を買い出しに近くの商店に出向く。
古びた住宅街だが、徒歩5分圏内に小さな食料品店がいくつも点在する。木島平村の自宅近所で言うなら、かつての「長野屋」がそこら中に営業しているような感じである。商店=コンビニと化した日本ではまず見かけない光景に少し感動を覚える。

水、エンパナーダ、珈琲牛乳で3650チリペソ(日本円=620円)なので、日本よりも少し高いと感じる。

ブログ書きにしばらく時間を費やし、その日は午前零時を少し回ったところで床に就いた。
何層にも重ねられた寝具が重く、自宅の布団に似た寝心地に妙な安心感を覚えた。

プエルトモントとアンヘルモ市場
翌日は休息日にあてていたので朝はユックリで良い。
10時半ころ出発しカラミで町方向へ歩いて行く。海岸の公園にはかつて走っていた鉄道機関車が展示されている。
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バスターミナルは広々とし、犬が闊歩する
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海岸に出てとりあえず明日乗船するフェリー乗り場を確認しておこうと「アンヘルモ漁港」に向かう。
グーグルマップによると、漁港のすぐそばがフェリー乗り場になっていた。
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グーグルマップの飲食店関連表記が賑やかなので観光地なのだろう。
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果たしてその通りで、手前500m付近から道路の両側が土産物店で埋め尽くされている。
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アンヘルモは釧路の和商市場のようでもあり、鮮魚店が多く店を開きチリ特産のサーモンが所狭しと並べられている。
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客引きもなかなか積極的なのはベトナムと同じで、丁度昼時だったので、店に入って食事することにした。
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写真付きメニューも用意されていたが、シーフードのお勧めのセットはないかとグーグル翻訳を介して尋ねると、スペイン語でまくし立てられる。「セルベッサ」だけは理解できたので、「SI」(はい)とこたえる。
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パタゴニアを象徴する地ビールATUSTRALは、黒糖のようなほのかな甘み、ロースト感が実にうまい。
あとで知ったのだが、パタゴニア地方に自生する「カラファテ」という野ブドウのような果実のエキスを使って独特の風味を出しているらしい。
アルコール度数の割にはあっさりした味わいで、さほど酒に強くない人でもグビグビいける。
私のパタゴニア旅の道中、色々なビールを試したが、このカラファテエールが一番だった。

添えられた揚げパンをディップに絡めてたべる。
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ディップは南米の名物料理、シーフードマリネ「セビーチェ」だということを後になって知った。

最後にカキたっぷりの食べるスープが運ばれてきた。
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しめて14300チリペソ、日本円2400円なので空港のサムライマック的セットが2100円だったことを思えば十分にお手頃ではある。
グーグル翻訳で「明日プエルトナタレス行きのふぇりにー乗るのですが、どこに船が着きますか?」と尋ねると、向こうだよ!と指さして教えてくれた。
とりあえず此処までくれば船に乗り込むことが出来ることは判ったので一安心する。

出航は18時だが、乗船は14時とある。
おそらく貨物積み込み前にランプウェイから乗客を乗せ、荷役中の危険を避けるという意味合いであろう。

一般的な旅客フェリーとは違いもともとは「人も乗れる貨物船」という扱いなのだ。


道すがら一軒の商店に入った。
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日本から持参し忘れた唯一の日用品の髭剃りを買い求めるためだった。1300チリペソ(200円)
食品から洗剤から何から何まで扱うスタイルはスペインカミーノにも多く見られたスタイルで、このような商店が存在する地域にはいわゆる買い物弱者は存在しないのだろう。
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残念ながら消費者向け小売り商業がほぼ大手資本の手に支配されてしまった日本ではすでに遠い過去のものになってしまっている。


元来た道を歩いて「宿」目指す。

街並みはヨーロッパ的ではないしアジア的でもない。もちろん北米的でもない。
やはり南米の田舎の風景なのだろう。
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古びた民家の壁はうろこ状なのはこのあたりの伝統様式なのだろう。


下宿の近くで見つけた商店で飲み物とケーキを買う。
おばさんの言っていることが分からないので、グーグル翻訳を差し出す。
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- ケーキはワタシの手作りなんです。気に入ってもらえると嬉しいです
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少し昼寝してから20時ごろ再び外に出る。
夏なので9時過ぎてもまだ外は明るいのだ。
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珈琲が飲みたくなったので、CAFEの表示がある近くの別の商店に入ってみた。
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珈琲が飲みたいというと、小袋のインスタントを数種類差し出され、どれがいい?と店員が尋ねる。

カプチーノ

を指さすと、お湯をカップに入れて開封、かき混ぜて差し出される。700チリペソ(日本円120円)。
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プエルトモントの何もない日常の旅。
こんな生活の匂いを感じることこそが私にとっての旅の醍醐味だ。


トラブル発生
トラブル発生

プエルトモントに2泊した後は、いよいよ1500km南のプエルトナタレスまで船で行く。
一般にはあまり知られていない航路だが、日本で云うならばRORO貨物船に人を便乗させる船と云ってもいいかもしれない。

南米フィヨルドを縫うように航行し、速度はわずか12ノット(時速20km)、日本国内の大型フェリーの半分程度の速度しか出ない。1500kmのそのほとんどが狭い航路を行くので速度を出す必要がないのである。

船内にはWIFIはなく、出航後数時間で携帯は通信圏外となってしまうため、出航前に出来ることはやっておかなくてはならない。
旅先とはいえメールチェック、予約管理は私の手に委ねられている。

バスターミナル内でそんな作業していたら、店の前に野犬が2頭やってきて寝そべりはじめた。
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プエルトモントはとにかく野犬の多い町である。しかもいかにも野犬然とした茶色い短毛の大型犬ばかりである。
しかし、どれもこれも人懐こく見え、決して吠えて向かってきたりはしない。
ただ、相手はやたらと大きいのでいざ近寄ってくるとちょっとひるんでしまう。
幼少時、周囲の大人たちから叩き込まれた「知らんぷりしておけば絶対に向かってこない」という知識がここプエルトモントで役に立った。

そして、プエルトナタレスでは1泊したあとすぐにトーレスパイネの山の中に入ってしまう。なので万が一に備えて、手持ちの現金を少し水増ししておかなくてはならない。
すでにサンチアゴで10万チリペソ(約17000円)をキャッシングにより両替したが、さらに10万ペソを手当てすべくATMに向かった。

ところが、である。
サンチアゴで操作した通り、スペイン語表示を日本語表記にスマホ翻訳変換しながら操作するも、何故かカードが弾かれてしまう。
もちろん限度額は超えていないし、昨夜は国立公園入場料をオンライン決済したばかりである。

買い物を試してみると、ある店では使えるが、ある店ではアウト。どうやら磁気情報がエラーとなっているようである。
タッチ決済でさえエラーとなるので、内部のカード異常なのかもしれない。

グーグルペイをはじめとするネット決済では問題なく機能しているので、カードの物理的異常だと思われた。


しかし海外旅行でクレジットカードが使えないのは、手足をもぎ取られるのと同様で、旅行続行不能を意味することになる。

カスタマーセンターに連絡して解決方法をチャットで知らせてもらおうと試みるも混雑していてなかなかつながらない。

しかしこのままではこの先の支払いが出来ずに大変な支障をきたしてしまう。
手元には日本円で4万円、ドル紙幣が100ドル分あって、それらを両替するという手もあるが、この先日本円を両替してくれる場所はほぼないに等しく円貨はココでは無力も同然である。

考えた末、財布の中にある楽天銀行のキャッシュカードをDEBITカードとして使う方法を思いついた。が、残高は十分ではないので普段入出金に使用している八十二銀行の資金を急遽楽天銀行に移し替えて対応することになった。

しかし今までこのカードをデビットカードとして使ったことはなく、果たして海外で期待通りに機能するのか試す必要があった。
近くの食品店でミネラルウォーターを購入してみたところ、無事機能することが分かった。
とりあえずは安心である。
もちろんICチップは外見もまったく無傷なので物理的に弾かれる心配はない。

一段落したところでフェリー乗り場にむかうことにした。


しかし、前日昼食を食べた漁港で店員に教わった通りの場所へ行ってみるも、どこがフェリー乗り場かよくわからない。
近くの港務事務所、土産店、3-4軒を訪ね歩くも皆いうことがバラバラで信用ならない。

港湾関係者でさえよく分かっていないとはどういうことなのか?大きな赤いフェリーがやってくれば誰しもがNAVIMAGと理解するはずなので、知らないはずはないのである。しかし。である。


いい加減らちが開かないので、バスターミナル近くに戻ってNAVIMAG事務所を訪ねてみた。
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するとスタッフは、いつだか乗り場が昨年以降変わって、ここから7km離れたChinquihueの街にその乗り場があるという。
名前を訊かれたので念のため紙に書いて渡す。「現地に連絡しておきます」とのことだった。

そもそも、ナビマグのウェブサイトには何処にも乗り場についての記述がなかったので、グーグルマップの航路起点をめがけてやって来たのが間違いの元であった。
それとも単なる見落としなのか。

親切かつ完璧極まりないニッポンの交通機関やサービスに慣れ切っていることがいかに恐ろしいことなのかを改めて実感した次第である。

ナビマグの事務所の前のバス停から、係員の言う通りの行き先「Chinquihue」行きのバスに無事乗る。
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そして係員がグーグルマップで示した場所を通り過ぎたさらに1.5km先まで進んだところで果たして赤いナビマグの姿を捉えた。
関係者でさえ本当に適当、いい加減なのである。(^^)


時間は「搭乗開始」とされる14時を10分ほど過ぎたところだった。


ナビマグの旅1
乗船場所にはフェリーターミナルなどというものは存在せず、通用門の門番がいかめしく控えているのみであった。グーグル翻訳をかざし、あの船に乗るものだと伝えると、今荷役中なので、ヘルメット着用が必要だという。
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それとも荷役が終わるのを待って、歩いてアクセスするか、どちらかだともいう。
「兎に角私はあの船の乗船券を持っている。貴方の指示に従うので、とりあえずココで待っている」とグーグル翻訳で伝えると、門番はニコリとうなづいた。


やがて一台の乗用車がやってきて、乗れという。わずか150mほどの間、ランプウェイまで乗せて行ってくれた。
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そこから先は日本の長距離フェリーとほぼ同じ構造の階段を登って客室入口へたどり着く。
そこに待ってましたとばかりにスタッフが笑顔と握手で迎え入れてくれる。
日本の海運業界でいういわゆる事務部の女性スタッフと、そしてこの会社では「アンバサダー」と呼ばれる貫禄ある事務長だった。


部屋に案内されるとなんとそこは6人部屋の貸切であった。
ナビマグは同室の旅人と仲良くなれることがひとつの楽しみと聞いてていたので、ちょっと残念な気もするが、疲弊した心を休めるには良いかもしれない。
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昼食を用意していますからどうぞ、と食堂に案内される。
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この日の乗客は70人ほどとみえるが、そのほとんどがすでに食事を済ませていた。
皆迷わず市街地から7kmも離れた乗船場に早くに到着できたものだと感心する。
いや、日本人のワタシがイケないのかもしれない。いや。イケないのである。

出航は18時と訊いていたが、貨物の積み込みと乗客の乗船が完了したらしく、やがて離桟し、しばらく300mほど沖で待機。風がやや強く、周囲に船舶が多く停泊しているからなのか、2隻のタグが本船を押し続けている。
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オモテからトモまでの遊歩甲板のほぼ全域が乗客に開放されているのには驚いた。係船綱を巻き取るウインチ類はお客からは見えない階層に位置しており、先端から後端までの全ての部分にアクセス可能という訳である。
しかもブリッジ階層部分もお客が自由に歩き回れる。しかもブリッジの外部ドアは開いたままである。「どうぞお入りください」といった様相である。
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出航後間もなく、食堂でガイダンスがあるので集まれとのアナウンスが流れる。
スタッフが英語とスペイン語で乗船中の注意事項について事細かに説明する。
事務的な感じではなく、至ってフレンドリーな雰囲気を醸していてこれまた日本的ではない。
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さらに18時から、航海中の見どころについて詳細なガイドが行われる。
クジラが見つけやすい場所、トドが生息する場所、パタゴニアの雪山が美しい場所など、詳細なガイドが行われる。特に3日目は狭い海域を縫うように走り、最も狭い場所では航路が50mほどしかない場所もあるという。
なんせ3晩4日1500kmに及ぶ航海である。貨物船とはいえ乗客を楽しませるさまざまな工夫がなされているというワケである。

説明会後も、航路図のまえで乗客がスタッフからイロイロ話が聞けるようになっている。
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とにかくフレンドリーなのがイイ。


前方にはカフェも備えラウンジのようなスペースが設けられている。
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ここでテストを兼ねて、ダメもとで使えなくなったクレジットカードでの注文を試みた。が、ヤハリ結果は同じで、DEBITカードに変えて支払うことになった。

19時からは夕食となる。
毎日モニターにメニューの内容がこのように掲示される。
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航海中全て食事(9食乃至11食)がついている。「乃至」というのは、着岸が遅れた場合などは、下船まで食事が提供され続けるという意味である。特に南行きのプエルトナタレスは風がつよく、しばしば着岸が遅れることも多い。

サラダはブフェ式でセルフで盛り付ける。パンは好きなだけ取ってもいいようである。
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これで乗船料金は5万円チョイ。
意外とお得かもしれない、と乗船早々に感じた次第である。
NAVIMAGの旅 2
相変わらず時差ぼけは解消せず、夜中はほぼ覚醒状態が続いた。
早朝にダイニングスペースを覗くやけに賑やかな音楽が奏でられているがそこには誰もいない。

窓辺の席に座って外を眺める。大きなガラスは日本のフェリーのそれと比べると開口面積はとても大きい。どの程度のガラスが使われているのか見てみると、どうやら厚さ6cmのようである。
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5時半を回って少しずつ明るみだしたが残念ながらそこは雨。多少はフィヨルド的地形が確認できるが、遠くの景色が見えないので、瀬戸内海ですよと言われても違和感がない。
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朝食は8時と少し遅い。
チーズとハム、サラダ、甘いおかゆが如何にも南米的だ。
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グーグルマップを大型モニターに投影して現在地を示している一方、アナログ的マップには赤い→マグネットで現在地を表示している。
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原則的にはスタッフが時々動かすが、深夜帯など誰も触らない時間帯もあるので、時々私がGPSを見ながらコッソリ動かしていた。

食堂前方には、天気予報、この先のみどころ、その日に開催されるアクティビティ案内などが表示される。
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その日によって、ヨガ教室だったり、ラテンダンス教室だったりする。それらは客室区画前にある三角形の構造物の中の「ジム」で開催される。
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基本的にやることがないので、到着してからの予定を考えたり、本を読んだりして過ごす。
12月中旬には来年のイベントを発表する予定でもあるので、スマホに全ての週末日程をリストアップし、一つずつ予定を埋めていった。


ただしネット環境はないので、検索ごとは一切できない。
通信圏外となってからはやがて24時間が経過しようとしていた。


モニター表示によると、16時以降、OUTER OCEANに出るので大波が予想されるとのこと。
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いよいよアネロンの出番と早めに服用し気を引き締める。
昼食は12時。8時に朝をすませたばかりなのであまり腹は空かない。


午後は次第に島が近くなってきた狭水道の風景を6階のカフェテリアスペースで楽しむ。
ドーナツと珈琲を注文し、DEBITカードで買い求める。無事使えることが確認出来てほっとする。
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両側が島に挟まれているが、もちろん、どれも無人島である。
だが、時々電が灯る建物が目に入る。双眼鏡で眺めてみると明らかに人口の複数階層の建物で、屋上には白いドームのアンテナが建っている。
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気になったのでインフォメーションの女性スタッフに訪ねるとサーモンの養殖場だという。
日本でもお馴染みのアトランティックサーモンだ。
夏場養殖場に居住し、魚の世話をするという。僻遠の地でこんなカタチで養殖が行われているのだ。
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運動しないので腹が減ることはないが、12時に昼食が提供される。

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時折船内放送で「狭水道に入ります」とアナウンスが流れ、そのたびに外へ出てみる。
ダウンを着込み、上下レインジャケットを着用し、防水手袋は必須である。

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人気(ひとけ)も「船気」も全く感じない隔絶されたパタゴニアフィヨルドの奥のまた奥の狭水道だが、まれに船舶の往来があり、ほっとする瞬間でもある。
僚船と反航するときには互いに長声を吹鳴させ、互いの安航を祈る。UW旗は確認できなかったが。
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その後眠くなったので昼寝をする。
うとうとしながらも船の動揺が次第に激しくなってきたことを体感する。
気づくと時計の針は19時半を回っていた。慌ててダイニングに行くと、すでに多くの乗客が夕食を済ませていて、私はほぼ最後だった。

横揺れの激しい中、あえて窓側に着席、手でしっかり皿を押さえながら急いでかきこむ。
アネロンのおかげで揺れを楽しむ余裕があったのが幸いした。
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案内板は本船が外洋をいくさまを表示している。
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この旅はとにかくハプニング続きだ。
相変わらず風も雨も強い。そんな天気を目の前にすると、ふと、最終日のプエルトナタレスからサンチアゴへのフライトがキャンセルになってしまったらどうしようかと不安がよぎる。キャンセルになってしまえばその先3回の乗り継ぎで日本へ向かう飛行機にもに乗れない。


予約したときはそんなこと微塵も思わなかったのが、ココにきて急に心配事が増えてきた。
ある程度パタゴニアを満喫したら、早めにサンティアゴに移動して日本行きのフライトを待つほうがいいのではと。

サンティアゴまでの飛行機は代は20,000円弱で買ったが、もしキャンセルになってしまえばそのあとの代替フライトチケットがとてつもなく高額になってしまう。なので20,000円ごときは早々と放棄して、サンティアゴへ移動へ移動すべきかもしれない。
2019年のパリストライキでの悪夢再来。そんなことばかりが頭の中をグルグル駆け回る。


なんせ地球の裏側からの日本への帰還である。直行便で簡単にイケてしまうヨーロッパとは話が違うのだということが此処へ来て分かってきた。
何事も慎重にすすめなくてはならない。
ナビマグの旅 第三日
前日の16時以降、本船は外洋に出たので船体動揺がひどくなった。

時折打ち付ける波が「ドーン!ドーン!」と船体に衝撃を与える。カーテンは揺れ、固定していない荷物は床の上を移動した。
2008年に佐渡島に出かけて体験した波高3m以上なのはほぼ間違いがない。
夜が明けても暫くは波の高い状態が続き、それが解消したのは7時を過ぎた頃だった。

幸いなことに昨日までの雨がようやくあがり、曇ってはいものの、昨日までの低く垂れこめた雨雲は解消し、南米フィヨルドの異形の山並みが左右に展開する。
写真でしか見たことのないパタゴニアの景色がそこにはあった。
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9時半からブリッジ見学会が開催された。
日本国内でも以前は太平洋フェリーが開催していたが、それも911以降完全になくなってしまったので、これは貴重な機会と迷うことなく参加した。
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1回の定員は30人、それを二回に分けて実施される。食堂に集合し、スタッフ女性がブリッジへと連れてあがるとそこには近代的な航海機器が並ぶ操舵室。
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好きに写真にとってもイイというのでお言葉に甘えることにする。

一般的な舵輪は装備せず、ジョイスティックによる操作とのこと。まるでボーイングか、エアバスの如しである。
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船長と当直中の女性の三等航海士、甲板員1名が勤務中だった。
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一通りの説明で分かったのは、

昨夜の波は5mには届かない程度の至ってノーマルなコンディション。
船員の勤務サイクルは2か月乗船1か月休み
とんでもなく狭い海域でなければほぼオートパイロットを使用する

質疑応答タイムで「日本国内のフェリー会社ではこの様なブリッジ見学ツアーがすべてなくなってしまったが、NAVIMAG社では引き続き実施している。何故か?」と質問したところ、
「一度のテロが起こったからと云って本船に同様のリスクが増すとは考えておらず引き続き安全第一にこのようなツアーを継続している」という。素晴らしいではないか。

手を触れさえしなければ何処を写真にとってもイイというので遠慮なく撮らせてもらうことにした。
ブログに載せてもイイかと尋ねると「Si!」とこれまたなんともおおらかな返答。

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総トン数(国際18000)、載貨重量トン4900トン、排水量11000トンで、おおよそ日本国内を航行する大型RORO船と同じ規模の船である。

この日のランチは早めに提供された。
午後の早い時間に、航路上に珍しい光景が眺められるからだそうだ。
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珍しい光景とは、座礁船である。
乗務員のガイドによると、1963年、砂糖を満載にした貨物船が、この狭水路を通過中、岩に乗揚げ座礁してしまい、そのまま残されることになったという。
一見深い海峡に見えるが、所々浅瀬があり、本来なら撤去されるところを浅瀬の注意喚起のためにあえてそのままに残してあるそうだ。

400mほどにまで近づき、8ノットほどのスピードで通過。
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いかにも古い形状の貨物船で、甲板上には草花が生え、長い時間の経過を感じさせる。
比較的良好な外見で残されているのはここが内海でさほど激しい波が立たないからだろう。

しかし山肌からは無数の滝が流れ出ていてなんとも神秘的な光景である。
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そしてこの日のもう一つの見どころはプエルとエデンの村である。
パタゴニアのフィヨルドの奥地にたたずむ人が定住する村。仙境と呼ぶにふさわしい沿岸の村で、一瞬だが携帯の電波がつながった。
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しかし4Gでもない超低速回線ゆえに、LINEやメールチェックするには至らず、残念無念。

圏外となって45時間が経過した。2016年にタスマニアオーバーランドトラックに出かけた時は5日ぶりに文明社会に戻ってきたら、熊本大地震が発生したことを知らされ大変なショックを受けた。
日本でとてつもない大事件が起こっていないことを祈るばかりである。

19時過ぎに夕食。この日はチリ特産のサーモンだった。最後の晩餐。
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緯度を上げていくにつれて陽の時間は長くなるので、おおおよそ22時過ぎまでは薄明が続く。しかし寒さは増すばかりで、晴れていた空が雨へ。そして最後には雪へと変わった。
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青黒く沈んだ海の色がさらに極地を感じさせる最後の黄昏だった。
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ナビマグの旅 第四日
明るくなって外を眺めてみるとそこは完全な吹雪であった。
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視界はあまり良いとは言えず、くすんだ南極フィヨルドの光景が薄墨色の空の下に広がっていた。
この日は最終日だったので、前日の夜、試しに操舵室の個人的な見学をお願いしてみた。自分がもと海運会社のオペ経験者で、娘が船員学校で訓練中だとも話した。そんなエピソードを小出しにして、少しでも許可してもらえる可能性がアップすればイイと思っていた。

出来れば幅60mの狭水道をマニュアル操縦で航行しているところをこの目で見てみたいと。


すると事務部のリーダーと思しき女性は、明日の朝ブリッジに行くので、その時にカピタンニ聞いてみます。と返事があった。
乗客に航海の状況を伝えるために、定期的に事務部がブリッジに上がって報告を受けるらしい。飛行機のCAがコックピットに出入りするのと似ているかもしれない。


最終日の早朝、ダイニングでくつろいでいると、くだんの女性がやってきた。

「ブリッジ見学OKです」と。


だだし、悪天候の場合は断るかもしれないとのことであった。
朝8:45頃に呼びに来るとのことだった。


しかし天候は思わしくない。視界もわるい。
何となく嫌な予感がしていたところ、女性がやってきて、「悪天候で風が強いので、ちょっと無理」とのこと。
残念だが仕方がない。この先10:30j頃に、今航路で最も狭い処を通過するという。


ほどなくしてアナウンスが流れたので一番オモテの甲板に出てみた。
乗客が行く手を見守っている。
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真ん中の狭いところを通過するようだ。
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驚くことにあの音戸の瀬戸よりも狭い推定60mほどの狭い海峡を、船幅22mの大型船が通過していった。
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振り返るとこんな感じ。
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距離で言うとほんの50m位なので、一瞬ではあるのだが、船幅わずか22m、全長150mの総トン18000トンの船が60mの海峡を通過するのだから驚くほかない。

やがてプエルとナタレスの湾にさしかかり、3日ぶりに電波圏内に入った。新着メールの数は120を越えていた。
いかにも最果ての港町で、ひたすら平らな大地に、遠目には一切の樹木のない町が陸地に広がっている。
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遠くには雪をかぶった山並みが連なっていて、いかにもパタゴニア然としている。
空想でしかなかったパタゴニアがそこにはあった。

しかし風が強い。港外に到着したのは12時前だったが、強風のためしばらく着岸ができないという。20時ころに着岸を試みるとのアナウンスが入る。
もちろん天候ゆえのことなので、日本のように「お急ぎのところ恐れ入りますが」などというアナウンスが入ることはない。
単に、着岸が遅れます。食事は提供します。とだけアナウンスされた。

乗客は文句ひとつ言わず、じっとラウンジで待つのみである。
天候なので仕方がないのである。
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昼飯はクリームパスタ
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夕食はいつものガッツリ煮込みビーフだった。
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そしてようやく着岸体制に入るとどこからともなく綱取りボートがやってきて、前と後ろの綱を係留柱に1本ずつ掛けられる。
大型船を係留するにはどことなく心もとない気もするが。
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下船開始となったのは21時半を過ぎてからのことだった。
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この日宿泊するエアビ宿のオーナーさんとのやり取りで、23時まで営業しているスーパーがあるというので、まずはそちらに立ち寄り、この先のパイネ山中での食事を調達することにした。

何気ない街だが平屋建てが続く無機質な家並みに「極南」を感じる。
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10分歩いた先にたどり着いたスーパーマーケット。
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スーパーではウインナー、ハム、チーズなどそのまま食べられるタンパク質系を中心に買いあさった。
スライスチーズやハムなどのパックはひとつ300円程でさほどの高価さは感じないが、サンチアゴなどの都市部のスーパーに比べればかなり値が張るのだろう。
夜食用にソーセージと野菜をまぜこぜにした総菜を買ってみた。


エアビの宿はスーパーから20分ほどの距離にある。
碁盤の目状に作られた街をグーグルマップにしたがってジグザグ歩いて行く。
パタゴニア旅行の拠点の街らしく、観光客向けのアウトフィッターやバーが並ぶ。

そしてたどり着いた今宵の宿。
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木造平屋建ての、オーナーの部屋の一角を間貸しするタイプである。
暖房の利いた居間、寝室、オーナー共用の台所が整備されている。
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幸い英語達者な明るい女性のオーナーでほっと一安心する。
夜も遅いので、買ってきた総菜とビールを掻き込み就寝する。明日は7時10分のバスでパイネ山群を目指す。
トレスデルパイネへ
プエルトナタレスはプエルトモント同様、野犬の多い街だった。
朝早くから大型犬が闊歩し吠えている。
時差ぼけはいまだ残っている模様で眠りの浅いまま朝を迎えた。
目覚ましは6時にセットしていたが5時前には目が覚めてしまい、あれこれ野暮用をこなした。

6:30に宿を出発、坂の上のバスターミナルを目指す。
やはり平屋建ての家が圧倒的に多いが、古びた家屋が目立つ。
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その一方でパタゴニアの観光で潤った人たちは、瀟洒な二階建ての家を新築しているようで、その貧富の差が目に見えて分かるプエルトナタレスの街である。

人影もまばらな街を歩いて行くと、やがてバスターミナルに向かうと思しきバックパッカーが目立ってくる。
やはりココはパタゴニア観光の拠点の街なのであった。
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すでにバスがひしめき合っていた。
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プンタアレナス行き、エルカラファテ行き、チリやアルゼンチンの観光地各所へ向けて出発するバスが、何台も並んでいる。
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BUS SUR社の7:10発は満員の乗客を乗せて出発。
運転席が完全に遮蔽された方式は、南米方式の模様で、運転士を守るセキュリティ上の対策なのだろう
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まるで電車である。

荒涼としたパタゴニアの大地を走る。
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途中牛の大群に行く手を阻まれたりするのも、これは日常のことなのであろう。

国立公園事務所前でいったん下ろされ、入園チケットの確認が行われる。
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トレスデルパイネセントラルに行く人は、ここで乗り換え、プデトに行く人は乗ってきたバスにそのまま乗車する。私はプデトまで行くことにした。

驚いたことにそこから先の十数キロは未舗装路であった。砂煙を上げながら、大型バスは曲がりくねった、アップダウンの激しい道を行く。
車窓右側にはいきり立ったパイネの山々が天を突きさすように連なっていた。
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プデトで下車し、すぐさまパイネグランデ行きのボートに乗り換える。
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25000チリペソまたはUSD30である。
わずか20分ほどの湖上移動だが、なかなか驚くべき値段である。
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すでに多くのバックパッカーが船内にひしめいている。
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運航時刻表
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だが、船上からの眺めは素晴らしかった。
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パイネグランデからはこの日の投宿地フランセスを目指す。
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湖のほとりから、右方向へ歩き始め、広い丘陵地や林の中をゆるやかなアップダウンを繰り返す。
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所々で木々の立ち枯れが目立つ。
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やがて湖畔を見下ろすトレイルとなり、遠くには雪をかぶった山々が見通せる。
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2時間ほど歩くと、イタリアーノキャンプ場、そしてそこから30分ほどでフランセスキャンプ場だ。
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その日の夜はフランセスのテント泊を予約していた。
受付を済ませ、テントに案内される。
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設営済み、寝袋、マット付きのフルサービスである。高床式の場所は雨濡れの心配はなく、快適そのものである。
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少し離れたバーに出かけ、ビールとポテトチップスを掻き込んだ。
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テントに戻ると、早めにハムやチーズの夕食を済ませるとやがて眠りについてしまった。
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それにしてもこの旅の間中、若い頃に付き合いのあった面々が頻繁に夢に出てくることが多い。高校時代の面子、会社勤め時代の友人や上司などなど。特にこの日は数えきれないほどの知った人が夢の中に登場した。

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