11月30日に始まった、八重山の旅がついに終わりの時を迎えた。
天候の安定しないことの多いこの時期にあって、予定していた島は全部回ることが出来たのは、とてもラッキーだったと云って良いであろう。
今回、回ってみて感じたことは、多くの離島において、観光産業が、いかに地域にとって重要な位置を占めているかと云うこと。
そして、海路が島にとっての極めて重要な生命線であることを痛感した次第である。
2日連続で船が欠航となった波照間島でのことだ。
3日目の朝、島を出る第1便を待つ人々の安堵の表情。そして石垣島から到着した貨客船から運び出される生活物資や食品を忙しいそうに我がクルマに積み込んでゆく姿は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
同じ観光産業従事者であり、「地方」と呼ばれる土地に生活の拠点を置く人間ではあるが、環境がまるで違うことに改めて気づかされたのである。
その一方で、観光で活況を呈する地域と、そうでない地域との格差もまた見逃すことが出来なかった。
与那国島の久部良から比川迄を歩いた時のこと。
恐らく、先の台風13号での被害と思われる、歩道の街路樹の倒壊をあちこちで見かけた。
しかし、全く修復がなされていないどころか、倒れた木の残骸さえ殆ど撤去されていないのである。
また、波照間島の南部周回路では、歩道が完全につる植物で覆われ、歩道としての役目を全く果たしていない箇所や、柵が錆びて朽ち果てたまま放置されている場所も決して少なくはなかった。
1-2ヶ月といった短いスパンでの話ではないだろう。明らかに、年単位で長期にわたって放置されているものである。
これらの事象は、この地域が厳しい気象環境にあることを度外視したとしても、本土においてはなかなかお目にかかることはできない。
少なくとも通常なら、県道や市町村道は定期的に役場職員が巡回し、不具合箇所があれば、すみやかに補修がなされるのが常であると思うノダ。
が、離島では、そんな当たり前と信じてやまなかった「管理」が様々な要因によっておざなりされている。
そんな事実は、いま離島と呼ばれる地方が抱えている、いくつかの問題を表している一つの例とも云えよう。
自分たちも、旅を通じて、ただ表向きの陽の当たる場所ばかりでなく、様々な側面を垣間見ることで、今一度、日本という国について、ほんの少し考えてみるのも悪くはないのかも知れない。
「見聞を広める」という、旅の原点に還ることのできた、今回の八重山の旅。
その印象は、いつまでも色あせることはないであろう。
~みゆきの行き飯山線最終列車内にてしるす

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