秋山郷にまつわるネタが続いたので、今日は「秋山郷とはなんぞや?」についてお勉強しましょう。 「日本の屋根」と云われる信州には木曽の開田、伊那の遠山郷などいくつかの秘められた秘境があります。
中でも平家の落ち武者が住み着いたという悲話をもつ隠田百姓村として知られる信越国境の秋山郷ほど、近年まで古い生活様式を今日まで保っている村は珍しいといえます。 地理的に言えば、志賀高原の北部にある岩菅山から流出する雑魚川と草津温泉の奥10kmにある野反湖に源をもつ魚野川が秋山郷最奥の集落「切明」で合流し中津川となり、その川は信越国境の苗場山と鳥兜山の間を流れて下流の津南町で信濃川に合流します。
秋山郷はかつて「陸の孤島」と呼ばれました。日本海から吹き付ける冬の季節風は上信越の山々を上昇してその麓にある秋山郷に大量の雪をもたらします。積雪量は多い年には4mにも及び、記憶に新しいところでは2006年1月豪雪では積雪は5m以上にも達し、メディアは連日「秋山郷孤立」を報道していました。 近年では大変珍しい「孤立」でしたが、実際昭和50年代前半までは自動車による冬季の交通の一切が遮断されていたのです。
古来より外部と隔絶された独特の地形でしたので、秋山に住む大部分の人口は、古くからここに住みつく人たちによって構成される、いわゆる「秋山人」であり、部落共有地を媒介として地縁的にも強く結び付けられているばかりでなく、血縁的にもお互いに蜜に結合している場合が少なくはありません。 それぞれの集落には「マケ」と呼ばれる同族団が存在し、例えば小赤沢地区における同族団は「山田」、「福原」、「阿部」のわずか3つの姓しか存在していません。(外来者は除く)
明治20年に発刊された井出道貞著「信濃奇勝録」にはこんな行があります。 「衣食事足りて、恒に争ひ努ることなく只質朴にして大古の人の如し。まことに世外の一世界なり」 これは秋山郷が古くから平和な桃源郷であったことを物語っています。また、驚くべきことに秋山の地には昭和の半ばまで一人の警察官も駐在していませんでした。つまりこの狭い社会の中で犯罪や事件がほとんど発生しなかったことを意味し、警察官の存在を必要としなかったのです。 そのような秋山郷がいかに「秘境」であるか、以下の地史を見れば一目瞭然です。
【暦】 昭和2年小赤沢ではじめて新暦採用、上の原地区では昭和18年迄旧暦が使われる 【医療施設】 昭和34年に切明に冬季診療所開設無医村解消 【電気】 昭和29年に和山地区を最後に全戸に電気敷設完了 【電信電話】 昭和46年地域集団電話敷設 【道路】 昭和54年機械除雪開始され、はじめて冬季の交通確保 【公共交通】 昭和34年に小赤沢まで「連絡車」と呼ばれるマイクロバスが運行開始。昭和60年路線切明までバス通年運行開始
今では通年自由に行き来ができるようになり、かつてのような「陸の孤島」ではなくなりました。しかしながら冬季の『交通路は国道405号線のみ、しかも長野県栄村から村の中心部から秋山郷へ入るにはいったん新潟県にはいらなくてはならない特殊な地形であり、かつ峠を三つ四つ越える必要があり、「秘境」であることにはなんら変わりありません。
この秋は秘境・秋山郷へドライブ&ツーリングに出かけてみませんか

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