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プロフィール

なかむら@みゆきの

Author:なかむら@みゆきの
高社山麓みゆきの杜ユースホステル
を営んでいます。
当サイトでは、地元民ならではのお勧めツーリングルート、温泉、B級グルメなどを宿主自らが実走調査を敢行!信州ドライブ&ツーリングにお役立てください。


【旅の記録】
北海道ツーリング2008
北海道ツーリング2009
北海道ツーリング2010
北海道ツーリング2011
北海道ツーリング2012
沖縄八重山紀行2008
沖縄八重山紀行2009
沖縄バイクツーリング2010
沖縄家族旅行2011
栂海新道縦走記2012
沖縄買出し旅2012
沖縄買出し旅2013夏
大阪帰省の鉄道旅2013
沖縄買出し旅2013冬
アメリカ横断2014春
北海道ツーリング2014
沖縄買出し旅2014
アメリカ横断2015
北海道乗り潰し2015冬
家族で沖縄2015冬
タスマニア周遊2016
Overland Track2016
北海道2016夏ドライブ
スペイン巡礼2016冬
タスマニア2017春
北海道2017夏
スペイン巡礼2017冬
瀬戸内旅2018春
日本南北縦断2018冬
瀬戸内旅2019春

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懐かしい風景に逢いに行く旅
火曜日から今日まで、所用で大阪に一時帰省しておりました。
少しでも安く上げようと、というよりも、趣味も兼ねまして飯山から大阪経由飯山までの一筆書き切符を作って。
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かの鉄道紀行作家・宮脇俊三氏が名著「時刻表二万キロ」で述べている通り、こうした切符を作る側には大変な労力が要求されるんですね。

買い求めるときは、あらかじめ細かい経路図を紙に書いて窓口で渡し、時間をおいてから取りに行くに限ります。
後ろの行列に気兼ねすることなく、窓口氏もまた、客の視線を感じることなく、リラックスして入力作業ができるのです。(と思う)

発券端末は意外と融通が利かないものでして、ちょっとした経路入力ミスで弾かれてしまうことが多々あります。

時には分厚いマニュアルを取り出し、悪戦苦闘する窓口氏を何度目にしてきたことか。。。。(スミマセン)


そんな時、注文した本人がそばにいると、係員さんにただならぬプレッシャーを与えてしまうことになります。

月曜日の昼間に経路図を渡しておき、夕方、雨で自転車登校のできなかった春花を迎えに行くついでに引き取りに行ったというワケです。


‐ スミマセン。 面倒なことお願いしてしまって。。。。

‐ いいえ。かえって新入社員のイイ勉強になりました。


発券カウンターには若い女性。


‐ 営業キロが600km以上になると、キロ当たりの運賃が格段に安くなるので、時々こんな客がいるんですよ。


とあえて助言しておきました。(^^)


出発は29日7時28分の新幹線。

長野から5分接続でしなのに乗り換えます。
乗り換えアプリでは検索されない短時間接続ですが、6号車後方のドアから降りれば、階段はすぐ。
しなのが待機するホームまで普通に歩いても2分とかかりません。

木曽路を南下し
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名古屋で関西本線亀山行き。
ここからは非電化区間へ分け入ります。
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加茂までは、明治時代に関西鉄道によって敷設され、その後国有化、現在のJRに至るのですが、実は古き良き国鉄時代が感じられる鉄道風景がゴロゴロしている、ファン垂涎の区間でもあるのです。

車両はキハ120という車体の短い、あまり旅情を感じることのないもの。
が、沿線とそこに点在する駅群が実に良いのです。

まずはひとつめの関駅で下車。
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旧東海道の関宿の最寄り駅でして、重要伝統的建造物群保存地区まで徒歩5分とかかりません。

旧中山道にもこのような宿場町が多く見られますが、ここ関宿はその町並みの距離がとてつもなく長いのに驚かされます。
奈良井や妻籠などよりもはるかに長大な規模です。
町並み好きはきっとそのスケールに圧倒されることでしょう。
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町並みを抜け、国道1号線。すぐに左折して国道25号線に入りますと、緩やかな上り勾配へとさしかかります。
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線路は左に続いていて、やはり同様に上り勾配を描いています。
かつてのSL難所「加太越え」にむけての上り坂です。
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渓谷を抜けますと、その先に村。
加太集落です。
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関宿から6.5kmほど歩いたことになります。

関西本線はおおよそ1時間に1本の頻度で運転されていますので、6kmを1時間半で歩けば、約30分の待ち時間で次の列車に乗り継ぐことが可能です。

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関西本線の各駅はこのように長い交換(行き違い)設備を備えており、しかも現役です。
いまでこそ単行気動車ですが、昔は5-6両の長い客車を連ねた列車や、貨物列車ひしめきあっていたといいますから、このような長い行き違い設備が必須だったのでしょう。

加太から峠を越え、佐那具駅で下車。伊賀上野駅まで4kmを歩きます。
佐那具駅もまたひなびた木造駅舎を備えており、簡易委託駅でもありますので発券業務が行われています。
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線路沿いをひたすら西へ向かって歩き続け、1時間5分後に伊賀上野駅。
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駅名は実に立派です。駅前ロータリーも立派です。みどりの窓口もあります。
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が、駅前には営業中の商店が全くありません。
市の中心的存在のJR駅であるにもかかわらず、店がないというのは、ある意味驚くべきことかもしれませんが、実際そうなのです。
それもそのはず、駅は伊賀市の中心部からは離れてしまっているのです。

飯山線の津南駅が市街地から離れた場所にあるのと同じといえます。


しかし駅構内はちょっとしたターミナル駅の面持ち。ホームは2本、乗り場は4面ありまして、これまた8両編成の客車列車がすっぽり収まってしまう位の長大ホーム。
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そして驚くべきは、SL時代のままの低床式プラットホーム。
かつての客車列車全盛期はこのような低いものが普通だったのですが、その後ほとんどがかさ上げされまして、ひょっとしたら原形のままで現役供用されているのはここ伊賀上野駅だけなのかもしれません。
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こ線橋もまた昔のままです。
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一駅先の島ヶ原で下車。
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この駅もまた明治時代の関西鉄道当時のまま意匠を保っています。

ワタシの鉄道模型製作バイブルでもある、昭和40年代に出版された鉄道模型情景制作ガイドにも登場するこの駅。
紙面に掲載されているモノクロ写真の景色が令和のいまもなおそのまま残っているのにあらためて驚かされます。
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日も暮れかかり、夕日を正面に木津川沿いを走ります。
旧山陰本線保津峡~馬堀間を彷彿とさせる景色に心打たれます。
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笠置駅のホームに立つ電柱。
「ハエタタキ」とも称される、旧式の電信ケーブル架設スタイルがこれまたレトロであります。
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亀山から加茂までの区間は、本州ではもっともSL列車の似合う線区のひとつと言えるでしょう。

こんなご時世ですから、いまさらSL復活の機運が高まるとも思えませんが、せめてこの古き良き鉄道風景がこのまま手つかずのまま残されることを祈るばかりです。


木津からは学研都市線の近代型電車。
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昭和から令和へ時空の旅をしてきたような感覚に陥りました。


イイですよ。関西本線。。。。。





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乗り鉄@京阪
実家での滞在中は、所用で河内天美、そのついでに京阪の一日フリー切符を利用して乗り鉄をほんの少し堪能、2年ぶりに京阪特急に乗りました。

建造後30年が経とうとしているのに、一切の古さを感じさせない、物持ちの良い京阪を象徴する素晴らしい車両であります。
プレミアムカーは勿論のこと、ダブルデッカー車の2階席の静粛性は鋼鉄製車両ならではのものがあり、寝台専用車両にもまったく引けを取りません。

まだあと20年くらいは第一線で活躍することでしょう。
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かつて、京阪は阪急に比べると乗り心地が悪く(カーブが多いという意味ではない)、劣るというイメージでしたが、それはもはや過去のハナシであります。

新旧入り乱れる同社の車両群
こちらは昭和30年代製の2000系を改造した2600系。
車内化粧板などはデビュー当時のままでさすがに昔を感じさせますが、それでもまだまだ第一線で活躍中です。
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この日は、まず私市~徒歩で交野市~枚方市~出町柳
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特急に乗って~天満橋
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大阪メトロ~天王寺~あべの~近鉄南大阪線~河内天美
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あべの~心斎橋~と経て 千日前の丸福コーヒー本店へ。
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普通の喫茶店でここまで濃く深い焙煎の珈琲を提供する店は極めて稀でして、その味わいはちょっと特別なものがあります。

はじめはストレートで、チビリちびりといただきまして、最後にミルクを注ぎ頂く。
深煎り濃厚珈琲ならではの楽しみ方なのです。
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半月ほど前にウチのライブラリーに入庫した超短編集「月とコーヒー」を持ってきました。
電車移動中にスマホを眺めているとすぐにギガがなくなってしまいますので、ここのところ汽車旅に出るときは必ず本を持ち歩くようにしてるのですよ。

3‐4編読み店を後にしました。


雪国志向の原点
今でこそ木島平の雪国生活があたりまえとなりましたが、実はその原点は振り返ることいまから39年前、1982年1月15日にさかのぼります。

12月も中旬を過ぎたころ、クラスの中に、前の年に、琵琶湖の北部の「近江今津」に行って、雪見をしてきたと自慢気に話す友人Kがいました。

いわゆる「五六豪雪」で近畿地方北部は未曽有の豪雪に襲われたのでした。


とにかくスゴイ雪だった
雪原でプロレスごっこをして遊んだ


大阪に住むものとしては経験したことのない大雪は一種の憧れのような存在でもありました。

ごくまれに降り積もる雪を部屋から眺めては「もっと降れ!」と念じたものですし、朝、庭にうっすらと積もった雪が太陽光線で溶けていく様に、得も言われぬ寂しさを感じました。

‐ 次積もるのはいつだろうか?

とにかく雪は憧れの存在でもありました。




Kは、言いました。 「今度、雪見に行こう。」


そうなると話はとんとん拍子に進みました。4人の仲間を集め、福井県を目指すことにしたのでした。


よくわからないまま、とりあえず緯度的により北に位置する北陸本線沿いの敦賀をと定め、きっぷを買いに津田駅まで出かけました。
当時は最寄りの国鉄駅では長距離切符を買うことができず、一つ先の駅まで遠征しなくてはならなかったのです。

切符は京都から。しかし敦賀は京都からの営業キロが90.1km、学割は営業キロ101km以上から有効ですので、敦賀までの切符を買ったのでは割引がききません。

じゃあその先の今庄まで買うことにしよう。

もちろん少年たちは今庄がどんな場所か、全く知る由もありませんが、もし何かあっても「今庄」という場所まではいくことができることになりました。


その時買い求め携えた時刻表は今なお大切に取ってあります。
表紙は破れてどこかに消えてなくなってしまいましたが。
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京都を9時頃に出る普通電車米原行きに乗り、米原から北陸本線です。

今でこそ敦賀までは一本の列車で行き来が出来る便利な世の中。ですが、当時は普通列車での直通運転は存在せず、すべて米原での乗り換えが必要でした。

乗り込んだのは長岡行き523列車。米原を10時33分に出発し、終点の長岡には23時23分に到着するという恐るべき長距離普通列車でありました。
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いまなお私の鉄道趣味の重要なポジションに位置する「録音」。その初めての経験がその時乗った高月~敦賀間の音風景でありました。

安物の香港製100円カセットテープにモノラルラジカセ、モノラルマイクでの収録だったものの、当時の仲間の声が収録された音源は今でもウチのどこかに眠っているかもしれません。

列車は北へ進路をとりました。

録音されている音声を聞くと当時の様子が蘇ってきます。



🎤次は余呉です。
余呉、近江塩津、新疋田、敦賀の順に止まります。



余呉当たりでは30cmほどの積雪がありました。
イイ感じだ。もっと深くなれと移り行く車窓にへばりついていたのですが、やがて積雪量が目に見えて減っていくのが判りました。



🎤あれ?なんか、雪、へってきたんちゃう?



敦賀に到着すると、先ほどまでの真っ白な銀世界が嘘のような、みぞれだけがただ虚しく降るプラットホーム。
赤茶けたホームのコンクリートには水たまりが出来ていました。



🎤もうひとつ先まで行こ。雪、ふえるかもしらん。



当時は地形による雪の多寡があることについては全く理解しておらず、ただ北に向かえば雪がたくさん積もっているに違いないと考えたに過ぎません。

敦賀で30分ほど停車したのち、そのまま長岡行きはさらに北を目指しました。


敦賀を出ると全長13800mの北陸トンネルに入ります。
高速で駆け抜ける特急でさえも通り抜けるのに8分ほどかかりますが、EF70電気機関車のけん引する鈍足列車は10分以上かかりました。(当時の日記に記録しいる)


頼む、雪、積もっててくれ!
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とそこは、薄墨色の水墨画の世界。
さきほどまでみぞれだった空は粉雪に霞んでいました。

スゴイ。凄いぞ!
少年たちはただひたすら大喜びです。

今庄駅のホームには軽く30cm以上の新雪。
いままでテレビでしかみたことのない、一面の銀世界が現実のものとなって現れたのでした。

1982年1月15日、12時29分の出来事でした。







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